
挿絵を描くにあたり「絵ぐみ」という作業方法があります。それは小説の方が締め切り間近に関わらず、脱稿のメドがたたず、小説に先立って挿絵を入稿する、絵を組んでしまうことをいいます。その場合は小説家の方から編集者をとおし、ファクスやメールで絵柄の指示が入ります。
例えば、「チャンバラ。侍が刀を構えているところ」という具合です。
実はここで困った問題があります。絵ぐみの場合、この段階においても小説家の頭の中に書くべきストーリーが見えていないことが多々あるからです。つまり具体的な絵のイメージがないまま絵の指示をしている可能性があるのです。
この場合だと、侍がどんな侍か明記されていません。
ということは、小説家は苦しまぎれに「絵ぐみ」を指示をした可能性あります。
いずれにしろ、挿絵画家としては踏み込んで描くことはできませんから、絵を描くというより、かなりアバウトな「図を描く」という作業になります。ぼくにとってはかなり窮屈な作業です。しかも、仕上がった小説には、チャンバラもなければ刀を抜く場面さえ出てこない事態も時々起きます。小説家はこの時点で相当追い込まれ、「絵ぐみ」のアイディアどころではなかったと思われます。
この「絵ぐみ」、小説家の中には上手い指示を出す方もいます。
20年ほど前、ぼくがまだ現代小説の挿絵を描いていたころです。推理小説家、佐野洋さんの挿絵を描くことがありました。佐野さんは遅筆で有名な短編の名手です。したがって、いつも「絵ぐみ」でした。
締め切り間際になって、ファックスが入ります。例えばこんな短文です。
「男女がコーヒーを飲んでいるところ」
これだけなら、普通の「絵ぐみ」です。ぼくは、男女の年格好も不明ですから、差し障りのない図を描くしかありません。佐野さんが他の作家とちょっと違うのは、そこにもう一言、暗号のような言葉が入ります。例えば……。
「キーワードはうそ」といった具合です。
これで俄然、絵は動き出します。ぼくは図ではなく絵のアイディアがうかびます。
この佐野さんのエピソードを思い出したのは、彼の「絵ぐみ」の指示書は今思えば、前回テーマにした俳句の趣あったなと思ったからです。