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わくわく挿絵帖
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肩飾り
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 いつぞや歌舞伎座で『義経千本桜 鳥居前』を見ていたら、花道から鬼退治の桃太郎のような格好の陣羽織姿の若侍(義経)が出てきました。
 ぼくはそのとき軽いめまいを覚えながら膝を叩き、なるほどと一人納得しました。
 というのは、その陣羽織に肩章のような派手な肩飾りがついていたからです。
 
 陣羽織の肩章は、明治維新時の西洋の影響をうけたスタイル(階級章)だということは、一般に知られています。
 実際、様々な武将図を見ても先の若侍のような陣羽織は見あたりません。
 
 ところが、頻度は多くはありませんが戦前のスチール写真を見ても、戦後の全盛期の映画を見ても、はたまた最近の戦国期を描く映画を見ても、肩章つき陣羽織を見つけることはさほど難しくありません。
 
 実は近年、この陣羽織のミスマッチが増殖しているのではないかと密かにぼくは思っています。
 理由は、テレビバラエティー等での戦国武将の再現ビデオや全国に出没するコスプレーヤーたちの画像にこの組み合わせをよく見かけるからです。

 冒頭の観劇でひとりごちたのは、花道から義経が登場したとき、ぼくは中村錦之介・主演『独眼竜政宗』(1959年)での若武者姿がフラッシュバックしたことにあります。
 派手な肩飾りがついた陣羽織をまとい、颯爽とした若武者ぶりがそっくりだと思ったのです。
 と同時に陣羽織の誤用のもとは、ここにあったのかと直感したのでした。

 考えるに、義経と政宗は東国ゆかりの雄という共通項があり、また歌舞伎をトレースして始まった時代劇ですから、伊達政宗を描くとき義経の衣装から想を得た可能性は大いにあり得ます。

 おそらく、このスタイルは幕末の動乱期に、官軍の将がまとった陣羽織を見た江戸の芝居者が、目ざとく取り入れたと想像できます。

 これらの世界観は時代考証(科学)的それとは違う芸能世界独特の外連(けれん)の神を信じる輩の世界感で、時代劇全盛期、東映に色濃くあらわれていました。

 古来芸能者は体制の外に棲み、歴史を縦横無尽に飛び廻り、六道を輪廻転生しながら無数のパラレルワールドの物語をつむぎ出してきた者たちです。

 花道から若侍が出てきたとき、ぼくが軽いめまいを覚えたのは、時空のゆがみをに引き込まれたせいだったのでしょう。

 しかしながら、この衣装の発信元は時代を超えて同一で、出雲の阿国の頃より古く、京都あたりで動乱と圧政の度に栄えた古物商や古着屋の末裔ではないかと思いを巡らしています。

# by arihideharu | 2017-03-11 21:49 | 映画・演劇 | Comments(0)
竹刀稽古
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 近衛十四郎という剣戟俳優は、随分長い柄(つか)と刃渡りの刀をきれいな弧を描いて振り回していました。
 テレビ時代劇を観なくなって久しいので、確信をもっていえませんが、近頃長い柄の刀を腰に差す侍や身にそぐわぬ長大な太刀をつかう小兵の侍など、あまり見なくなったとふと思いました。
 
 というのも、江戸期の竹刀稽古の様子を調べるつもりで『北斎漫画』を開きました。
 そこには現代剣道とくらべたら貧相ですが、基本変わらない防具をつけた竹刀稽古の様子が描かれています。
 ただ、竹刀は皮で包んだ袋竹刀です。
 そこで気になったことがあります。柄の握りです。両手の拳がほとんどくっついているのです。どんな構えでも変わりません。
 北斎はこういう細かいスケッチは正確な画家です。またバランスから考えたら、現代の竹刀より柄が短いようです。
 これには違和感を覚えました。
 何故なら、幕末から明治にかけて残る剣士の写真には、えらく長い柄の竹刀を扱う画像が沢山残されているからです。
 これらは明らかに現代の竹刀より柄が長く見えます。したがって、両手の握りも間が大きく開きます。

 ぼくが冒頭に近衛十四郎を持ち出したのは、この幕末明治の剣道界の残像や江戸初期までの風俗絵にある野太刀のような長大な刀を腰に差す無頼漢の残像が近衛十四郎と重なり、明らかに長い刀を自在に使う者こそ強いという、単純で明快な結論が彼の侍姿に重なりリアリティがあると、ずっと考えていたからです。
 したがって、江戸期の道場稽古の竹刀は柄の長い長大なものを想像していたのです。ところが北斎のスケッチはそれを裏切っていたのです。
 これをどう考えたらいいのでしょう。
 
 ぼくは短い間ですが居合いを習ったことがあります。
 そこの流派では柄の短い刀を使い、両手で振り回すときは鍔元に両手をくっつけるように持って扱います。この形が振り回すとき一番バランスのイイ持ち方だと教えられます。
 そうです。北斎漫画の竹刀稽古の様子とそっくりです。
 ぼくはといえばその頃は、居合いは接近戦なので長い柄はじゃまなのだろうぐらいにしか考えていました。
 ところが問題はそう単純ではなく、居合いの祖である林崎甚助は短躯ながら三尺をゆうに越える化け物じみた豪刀を振り回していたことが知られています。勿論、柄はそれにに比例して長くなります。
 また、北斎が写しとった袋竹刀は現代の竹刀より短く、江戸期に決められた定寸の刀の長さにそくして作られていますから、スケッチの持ち手の形は定寸の本身を使ったときと近いと考えられます。

 しかしながら、幕末の彰義隊の戦いを写生した月岡芳年の錦絵を見ると、厚みと幅のある刀身に十分な長さの柄をもつ刀が精緻に描かれています。
 柄をつぶさに見ていくと、目釘が2つ以上の刀が頻繁に出てきます。
 実戦が多発したこの時代、刀は定寸のまま刀身はひたすら肉厚になり、造りも頑丈になったことが伺えます。
 そして、両の持ち手の開きは拳一つほどです。

 よくドラマで「おぬし、できるな」とか「一刀流とみた」いうせりふがありますが、あれは繰り出す技や構えもありましょうが、先ずは刀の長さや形・拵えでおおよその持ち主の腕や流派がわかり、シャーロック・ホームズなみの洞察力のある者は、さらに髷や衣装・言葉遣いを見て氏素性をたちどころに言い当てることができたことでしょう。
 さらに身体の特徴、袖からのぞく前腕の太さや面ズレや竹刀蛸の有無などをみれば習熟度が瞭然となったに違いありません。

# by arihideharu | 2017-01-31 22:21 | 挿絵 | Comments(0)
明けましておめでとうございます。 
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明けましておめでとうございます。
本年が佳き年でありますようお祈り申し上げます。

# by arihideharu | 2017-01-01 00:20 | 暮らし | Comments(0)
町奉行所与力・同心一覧
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 『図説・江戸町奉行所事典』という重宝する本に、文久元年町奉行所与力・同心の一覧表が載っています。
 ぼくはここしばらく、こればかり見ています。相当地味ですが、どういうわけか飽きません。

 一般的解説本には、南北の町奉行所にはそれぞれ与力25騎と同心120人がいて、それが5組に分かれて組織されていると説明されます。
 その伝でいくと一組の与力の数は5名、同心は24名となります。
 ところがこの表を見ると、南町奉行所一番組では与力7名に同心25名で、二番組では与力9名に同心36名で、かなり不揃いです。
 これは雇用を世襲にたよる結果だと考えられます。
 ただ、二番組の与力9名のうち同姓が3組いるので、これは親子と考えられ、3名は実質見習いと想像できます。
 また、2番組同心の数が異様に多いのは、幕末の動乱に備えた増員のせいと考えられます。
 ちなみに文久元年は1861年です。

 次に目につくものは、同心が四つに分かれていることです。年寄・書物・添書物・同心の四つです。
 これは与力が将校にあたるなら、年寄同心が下士官で、平同心が兵卒と考えられます。また書物・添書物はその中間の地位と考えられます。
 想像を膨らませると、年寄は曹長で、書物が軍曹、添書物が伍長かもしれません。
 また元々、与力は騎馬兵で同心は歩兵ですから、人数比から考えると、騎馬兵一人に対し歩兵4・5人の編成ということになります。

 ちなみに、小説やドラマでおなじみの廻り方同心・約14名は、すべてこの上級下士官である年寄です。
 しかも、上司(与力)を持たない特殊な部署です。となると未熟な与力など、この者たちに従うしかなっかたと想像できます。

 また、ほかの年寄同心の所属部署を表の並びで見ていくと、年番方同心6人のうち2名が年寄同心です。次の本所方の同心3人のうち2名が年寄です。
 このことから本所方は意外と重要な役目であったことが伺えます。
 意外と言えば、かなり重要と思われる裁判職の御詮議役に筆頭与力の名は載っていても、年寄同心の名がないことです。
 これは同心においては、内勤より外勤重視という町奉行所の性質からと愚考しています。

# by arihideharu | 2016-11-03 09:58 | 挿絵 | Comments(0)
映画『シン・ゴジラ』
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 最初のゴジラが作られたのが1954年、ぼくの生まれた年です。
 ぼくらの世代にとって映画に行くとは、ゴジラを見に行くことでした。モスラやキングギドラは小学生の夏休みの夢をすべて飲み込みました。
 日本を俯瞰し日本列島を認識するのはゴジラの行動範囲から始まります。つまり太平洋を北上し東京湾に現れる過程で、島国日本の概要を覚えるのです。
 
 ぼくは特にゴジラファンという訳ではありません。おそらく少年期を脱するに従い、ゴジラのフィクション性が幼稚に見えてきたせいだと思います。
 それを加速したのは、アメリカ映画の豪華さが日本映画を圧倒していたことでした。

 このあとゴジラ映画のスタッフはテレビ制作にはいり、周知のようにウルトラマンをつくります。ぼくらの下の世代はこのウルトラマンにはまります。
 つまり騙されやすい年齢に、テレビという中毒性のたかい機械を見近に置くことになったからです。
 
 そんなぼくでもゴジラは全作見ています。さて『シン・ゴジラ』です。
 まず、驚いたというか感心したことがあります。ゴジラがいよいよ東京に上陸し本格的戦闘が始まるというときに、首相以下主要閣僚がゴジラによって、あっけなく死んでしまいます。
 
 これは国家として重大事件だと思うのですが、国体は何の動揺も見せず、淡々と代わりの首相を決め防衛戦を続けます。
 読みようによっては、国家組織がしっかりしているといえそうですが、あきらかに作者の意図は我が政府の指導層は誰がなっても同じという皮肉です。
 これがアメリカ映画なら、大統領を簡単に死なせるようなことはしないと思いますし、あったとしてももっとドラマチックにあるいはセンチメンタルに描きそうです。ましてや独裁国家では、この設定はありえません。
 
 それは日本の中枢が空なることを意味し、我々観客は日本の組織が持つ、かなり古くからある特性だということを知っていますから、なんの抵抗もなく見過ごします。
 結局ゴジラをやっつけるのは指導層の力ではなく、現場の馬鹿力と偶然の積み重ね、我々がよく出会う結果オーライの結末です。
 とりあえず災害は終わってしまえば、過酷過ぎる体験など誰もが忘れてしまいたい訳なので、次に備えての準備もそこそこになるのが大体の常です。

 ゴジラは核問題という現代文明の負の遺産が作り出した化け物です。しかし正体は、忘れた頃におこる大規模自然災害や、いつも海からやってくる戦争の比喩であることは、ぼくらは知っています。
 天災は被害を最小限にくい止める努力をするにしても、基本的に通り過ぎるのを待つしかありません。しかし戦争は始まってしまったら、勝つにしても負けるにしても、とりあえず戦うしかありません。
 ゴジラはこの二つの性質を持ちますから、基本戦略は半ば戦い半ば通り過ぎるのを待つということになります。

 古来より我々は、この方法で大概の災いに過不足なく対処してきたせいか、いやに自信を持っています。
 古くは海を越え大陸から大挙して押し寄せた渡来人たちは農耕と戦争を持ち込み、日本を飲み込もうとしました。しかし、深い森に覆われた山々に阻まれ、いつの間にか縄文人と同化し一緒に森を守り、お天道さまを拝みながら田畑を耕すようになります。
 蒙古が襲来したときも、結局は海とお天道さまが防ぎました。
 それ故、我々は今でも天の神・地の神に柏手を打ちます。

 しかし、この神々は我々がおごり隙を見せたとき、大あばれし天罰をくわえます。
 先の負け戦も、最強の破壊力を持った『シン・ゴジラ』もトップクラスの天罰といえます。
 映画のクライマックスで凍結作戦が功をそうし、ゴジラは弁慶のごとく立ち往生し破壊をやめます。
 そのすぐ先には縄文の森にかえった皇居があります。
 またしても森に棲む守り神が我々を救ったのかと、ぼくは思いました。

# by arihideharu | 2016-09-26 16:32 | 映画・演劇 | Comments(0)