女優の森光子さんが昨年、国民栄誉賞を受賞したのにともなって、テレビでインタビューを受ける機会が増えたように思います。それで思い出すことがあります。受賞直後のことです、こういうことが繰り返されていました。
「女優になったきっかけは?」と問われると、森さんは「従兄に嵐寛寿郎という映画俳優がいまして…。」と答えます。するとそこに一瞬の間が生まれます。「嵐寛さんですネ。」と合いの手を入れるのはまれで、大概は「それで?」という顔で話の先を進めます。
勿論、ぼくはそこで拍子抜けです。嵐寛寿郎といえば、かつては誰もが知っているチャンバラ映画の大スターです。実はぼくの最も好きな剣劇俳優でもあります。拍子抜けの意味はそこにあります。
多くの剣劇俳優の中でも嵐寛寿郎ほど立ち姿の美しい役者はいませんでした。正眼に構えたときは勿論、困難な体勢から突きや胴をきめるときでも、背筋がピンと伸び、着物の裾が乱れませんでした。そして、乱れなかったのは着物ばかりではありません、顔がそうです。どんな場面でも破綻の表情を見せませんでした。
無声映画時代のチャンバラヒーローの多くは無頼漢でした。無頼漢は顔を歪めながら死んでいきます。坂東妻三郎や大河内伝次郎の役柄です。いわゆる悲壮美です。
嵐寛は鞍馬天狗を演じました。これは革命家でした。右門捕物帖では町方同心、これは刑事です。いずれも正義の人です。
戦後、老いても多くの映画に登場しました。あるときは南の島で半裸で三線を弾き、またあるときは北の果ての刑務所で素っ裸で博徒のなかに混じって喧嘩をしていました。老残の姿です。しかし、いずれも輪廻転生した鞍馬天狗の勇姿でした。