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わくわく挿絵帖
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廻り方同心
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 捕物帖には若くって颯爽とした岡っ引きや同心が出てきます。これは捕物帖の決まり事で当代の人気役者が演じる慣いになっています。ですからぼくも菊之助や海老蔵を思い浮かべて描いています。それはそれとして、実際はどうだったかというのを調べるのもまた楽しみの一つです。

 先ずは、花形商売廻り方同心ですが、これは奉行所内の出世頭でおいそれとはなれないお役目といわれています。命令系統としては唯一与力の下に付かず、奉行から直接命令を受けるということになっています。この廻り方同心は定廻り、臨時廻り、隠密廻りの三廻りと呼ばれ3つに分かれます。その中で定廻り同心がさらなる花形ということになります。

 三田村鳶魚は定廻り同心になるまでは、12・3歳で奉行所へ見習いに出て、30年あるいは40年、雨の日も風の日も日照りの暑さの中も怠らず背中にひびをきらして勤め、その中で手柄を立てた優れた者だけがこの役に就けたといっています。すると、なったときは40から50歳ということになります。この定廻り同心は6名いました。そして、このお役目を勤め上げた者が臨時廻りになるといっています。(これも6名)ここまで辿り着くのは・・・。聞いただけで目眩がしそうです。また、この臨時廻りは同心達の相談役です。最後の隠密廻りは同心の長老格2名がなるといっています。奉行所の外においては定廻り同心が肩で風を切り、内においては隠密廻り同心が重きをなしたと書いています。おそらく隠密廻り同心は密偵を指図する役目で最も情報が集まる強面の役かと思われます。廻り方同心は実戦部隊ですから年功序列と能力主義が半々というところでしょうか。

 また、奉行所には与力も同心も本勤の3分の1近くの人数の見習いがいました。年齢は、これは想像ですが10代から30代まで、使い走りから即戦力まで幅広くいたのではないでしょうか。

 この見習いの間、切り絵図や武鑑・町鑑を頭の中に叩き込み、目出たく定廻り同心になったころは江戸の町を掌を指すように知り尽くしていたのではと想像しています。 


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by arihideharu | 2010-08-23 13:02 | 読書 | Comments(0)
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