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わくわく挿絵帖
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モダンでハイカラ
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 昭和初期、挿絵界のエース岩田専太郎は竹中英太郎が登場したとき、かなりドキリとしたということを何かに書いていました。

 岩田は江戸の町絵師の流れを汲みながら黒々とした線だけでアールヌーボーを思わせるモダンな挿絵スタイルを確立し、十代から脚光を浴びていた天才絵師です。それに対し竹中の絵は鉛筆やコンテをこすったようなボカしや、うす墨を多用し、ともすれば汚くも、また稚拙にも見える絵でした。江戸川乱歩・夢野久作などの挿絵を多数手掛けた奇才です。

 明治以降、挿絵は江戸の浮世絵師がそのまま木版技術を使ったところから始まり、やがて写真製版に移行します。写真製版は初期段階にありましたから微妙なトーンは出ません。

 そこで画家がとる最良の方法は黒一色だけで描くことです。小村雪岱はじめ多くの画家がこの方法をとりました。かれらは町絵師の子孫でしたから墨刷りの要領で難しいことではありませんでした。

 そしてその方法論はやがて大正・昭和になり、進化の枝は分かれペン画となって花開きます。高畠華宵・伊藤彦造・椛島勝一などです。

 話しを岩田専太郎と竹中英太郎に戻します。岩田は絵を描くにあたり、ポスターカラーをたっぷり筆につけ、可能な限り太い線を引き、ときには二度筆三度筆をして、メリハリある絵を描くことを心掛けたと書いています。勿論、これは未発達な印刷技術を頭に置いた、仕上がりを想定した描き方でした。

 ところが、そこへ自分の方法論を無視した竹中英太郎が現れます。これは十分にショックだったことは頷けます。しかも土俵は同じ文芸雑誌「新青年」です。

 「新青年」は探偵小説を中心に内外の作品を掲載し、その当時のモダニズムを象徴したハイカラの極みのような雑誌でした。

 そこで新しい小説の書き手は勿論のこと、新しい挿絵の描き手が求められました。時代は岩田専太郎を産み、やがて竹中英太郎が登場します。

 岩田の描く人物は、日本人離れした容姿を持っています。男は彫りの深い顔を持ち、姿はあくまで颯爽としています。そして、女は長い睫毛と見事なプロポーションを持っています。この画風がその当時の人々の憧れを掻き立てたのでしょう。

 一方、竹中は一見素人くさい、現代美術のような実験的画風です。

 岩田に言わせると、「竹中が登場したときは自分のときと違って印刷技術も大分進歩し、グレーがかなりキレイに出る状況になっていた。そのことが、挿絵画家・竹中英太郎を産んだ」と言っています。つまり、ひと昔前なら通用しなかったと言いたかったのでしょう。

 両者とも人気を得ました。しかし、竹中は岩田と違いは8年程で筆を断ちます。

 それから80年以上経ちます。ぼくは岩田専太郎が描く、長い睫毛を持った侍や、着物を着るにはグラマー過ぎるお女中を見ると、決まって大衆演劇の二枚目や女形を思い出します。白塗りの顔に付け睫毛…。今ではモダンでもなければハイカラにもほど遠く見えます。

 一方、竹中英太郎のほうは今でも、画学生が描いたような初々しさと、芸術至上主義的あやしい美しさがあります。古びていません。この違いは一体何でしょう?

 しかし、多分です。岩田専太郎が短命であったなら、今でもモダンでハイカラのまま輝いていたかも知れないと思うのです。
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by arihideharu | 2011-07-18 03:22 | 挿絵 | Comments(0)
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