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わくわく挿絵帖
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「ひまわり」
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 確信は持てませんが、映画監督の伊藤大輔のエピソードだったと思います。

 若い時分、縁日の夜をそぞろ歩いていると、アセチレン灯の下で変わった絵が目に飛び込んできます。粗末な紙に印刷された、ゴッホの「ひまわり」でした。初めて見るその絵は、美術に並々ならぬ関心があった伊藤青年を釘付けにします。彼は貴重なお金をはたいて、その絵をもとめました。

 そして自分の部屋にその「ひまわり」を貼り、眺め暮らしました彼は、これをきっかけにすっかりゴッホファンになります。

 その後、美術愛好家の伊藤大輔は、映画監督として数々の名作を作り一時代を築きます。しかし、多くの名作が戦災などで残っていないことでも有名で、彼の作品と彼自身は日本映画界の伝説となりました。

 戦後、日本が経済復興したころ、ゴッホの展覧会が開催されます。彼は見に行きました。あの「ひまわり」が目玉作品の一つとして来ていました。

 彼は行列の中で「ひまわり」を鑑賞しました。ところが彼は小首をひとつ傾げます。確かにこの「ひまわり」はすばらしい作品には違いないが、もう一つ感動が足りません。彼には貧しい部屋に貼って鑑賞した粗悪な印刷の「ひまわり」の方がはるかに輝いた本物のゴッホの「ひまわり」に思えたからです。

 このエピソードは「美」の本質を表しています。ゴッホの美は伊藤大輔にはアセチレン灯の下で見つけた紙に複製された「ひまわり」に現れたのです。つまり「美」の本質は「もの」にあるのではなく「こと」にあるのです。

 学生時代です。映画本でこのエピソードをしこんだばかりだったと思います。友達のアパートで4・5人で飲んでいたときこれを披露しました。

 すると、その中の一人がすぐに「その男はゴッホを理解していない。実物のゴッホの絵の方が美しいに決まっているではないか!」と言い出しました。彼の主張は、生の油絵の発色やボリュームまたはマチエールを見ずに語るのは絵画を分かっていない。そもそも印刷された「ひまわり」と実物の「ひまわり」を比べることさえナンセンスだと言うのです。そして、伊藤某は美術を語る審美眼のない輩であると言うのです。お察しのように彼は画学生であり熱烈なゴッホファンでした。

 彼とぼくは互い頑固者で主張は平行線となり、つかみ合いの喧嘩になりそうな険悪な飲み会になってしまいました。

 久々にこのことを思い出したのは訳があります。テレビで小林秀雄の評伝を偶然見たからです。

 その中で、小林秀雄が「ゴッホの手紙」をものにしたとき、彼は実物のゴッホに触れたことはほとんどなく、程度の良い複製画を鑑賞しながら執筆したこと。そして数年後、アムステルダムのゴッホ美術館で初めてオリジナルを見たとき、咄嗟に「複製のほうが良い」と思ったことが語られていたからです。

 彼もまた複製画を見ながら耽溺し。そして、同じように実物を見て小首を傾げたのでした。

 やはり「美」とは幻の別名かと思えるのです。

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by arihideharu | 2011-08-15 02:33 | 挿絵 | Comments(0)
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