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わくわく挿絵帖
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二人のエース
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 ぼくが時代小説を一番盛んに読んでいたのは20代から30代です。すごい勢いで読んでいましたから、その頃住んでいた国立には大きな本屋が2軒あったにもかかわらず段々と読む本がなくなり、ある時期から新しく入る本(新刊本)を待って買うというサイクルになりました。といってもぼくの買う本は基本文庫だけですから、今から考えると大した量ではなかったと分かります。

 その待って買う本の中には二人のエースがいました。勿論、藤沢周平と池波正太郎です。

 ぼくはすでに相当の山本周五郎ファンになっていましたから、「山本周五郎の後継者」と呼ばれた藤沢周平の出現は日照りに慈雨のようなもので、デビュー作の「暗殺の年輪」から新しい本が一冊一冊と増えていくのが楽しみでしかたありませんでした。

 他方、池波正太郎はすでに「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」「剣客商売」の人気シリーズが正に進行中で、飲み助にとっての冷蔵庫にたっぷり入ったビールのような存在で、グイッとやるのがたまりませんでした。

 ところがその新刊本も読み終わると、シリーズものなどは特に続きが読みたくて仕方なくなります。「鬼平」や「剣客商売」あるいは平岩弓枝の「御宿かわせみ」や「はやぶさ新八」などです。そこでぼくは本になるのが待ちきれず、それらがを連載している小説誌の存在に目を向けることになります。

 これが小説誌を読み始めたきっかけであり、はたまたぼくが小説誌の挿絵を描きたい、挿絵画家になりたいと思ったきっかけにもなった訳です。それに、挿絵が載るようになったら月に何冊も買っていた小説誌を買わずにすむと思ったのも事実です。

 話しを藤沢周平と池波正太郎の二人のエースに戻します。両者とも本領が江戸を扱う時代小説ですが、大きな違いがありました。

 藤沢周平の作品に出てくる人々は多くは貧しく、己の誇りとか品格すら常に危く、あるいはそのバランスを取ることさえ諦めてしまうほど、むき出しで生きている底辺の人々でした。これは特に初期作品に顕著で、読んでいると気が滅入るほどでした。これは特に初期作品に顕著で、読んでいると気が滅入るほどでした。しかし、ぼくはこの暗い初期作品が好きでした。暗ければ暗いほど好きでしたし、魅力的でした。

 何故なら、ノックダウンをくらったボクサーが、おぼつかない足取りで両腕を持ち上げバランスを取りながら立ち上がろうとする姿は、ダウンしたダメージが大きければ大きいほど美しくみえます。藤沢周平の作品はこの構造で、より傷ついている主人公が小説の魅力に繋がっていたからです。

 一方、池波正太郎の小説の主人公たちは反対にお金をかなり持っています。「剣客商売」の秋山小兵衛はかなりコスく金を稼いでいます。梅安にいたっては人を殺めて金を貯め込んでいます。また鬼平は権力者の側ですから勿論のことです。

 池波正太郎の小説の魅力は、ここにあります。つまり、主人公たちはちょっとした小金持ちで、そして、その金を使う姿を見せることによって江戸の「いき」とか「野暮」が透けてみえてくる仕掛けです。何ともうらやましい生き方がそこにはありました。

 若いときのぼくはこの二人の作品を読むことは生きる糧でした。
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by arihideharu | 2011-08-22 13:49 | 読書
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