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わくわく挿絵帖
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習作
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 学生の頃、ぼくは油絵を専攻していましたが、日本画を描く課題が出ました。そこで、ぼくは大河内伝次郎の「忠治日記」のスチール写真をもとに、国定忠治の大首絵をA1のパネルに仕上げて提出しました。それからしばらくぼくは、残った顔料で浮世絵風の習作を試みました。

 そんなある日、女物の着物を単色で塗り終わったあと、それだけでは寂しいので柄(がら)を入れようと考えました。ところが一向に思いつかないし、丁度いい資料もありません。そんな逡巡をしていたとき、学校の友達が遊びにきました。

「何してるんだ?」と訊きます。

 ぼくは「どんな模様を入れるか考えているんだ」と描きかけの絵を示しながら答えました。すると彼「絵描きが模様を考えるようになったらお仕舞だな」と言います。

 ぼくはカッとなりました。

 危うく喧嘩になりそうでしたが、思い留まりました。というのは、ぼくもこの習作を始めるまでそう思っていたからです。

 近代美術が様式美を否定するところから始まるとしたなら、模様は様式美そのものです。また装飾性は近代が嫌うところでもあります。彼の言う意味は理解出来ます。

 ぼくの浮世絵版画風の習作は一年以上は続いていましたから、友人達はぼくがこの手の絵を描いていることは知っていました。

 ところが、最初は面白がってくれていた彼等も、この一連の習作が長くなるに従い、首を傾げ始めていました。というのも、段々上手くなるどころか、イメージ性においても技術においても行き詰り始めていたからです。

 「絵描きが模様を考えるようになったらお仕舞だな」と言われたとき、もしぼくがもっと和の世界に確信を持って入り込んでいたなら、ここは喧嘩をするべきところです。何故なら模様は日本美術の重要な要素ですから…。ところがぼくは志向していながら、まだ腰が定まっていませんでした。

 そのとき手本にしたのは主に月岡芳年でした。芳年は幕末の様式化してきた錦絵の中で、実際にモデルを置いて絵作りした跡のある、近代との架け橋になる洋画風のデッサンをする画家です。そのころ夢中になっていた画家です。そんな理由もあって、錦絵のしっぽを掴むなら芳年からと思ったのですが、これが間違いのもとでした。初心者には彼の線は難解過ぎたのです。それもそのはずで錦絵が出来たその百年前の鈴木春信の時代より、彼の引く線は何倍も複雑になっていたのです。実際に着物姿を見ることのない現代人にとってなおさらです。真似るなら春信あたりから始めるべきだったのです。

 ぼくは浮世絵風の絵をそれから一年ぐらい続けましたが諦めました。方向性が見えなくなったのです。

 再開したのは十五年ほどしてからでした。それは糊口を凌ぐためと少しは資料が集まったからです。覚悟を決める条件が揃ったというわけです。

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by arihideharu | 2011-10-17 04:24 | 挿絵
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