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わくわく挿絵帖
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「一命」
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 映画「一命」を見ながら、ぼくは終始首を捻りました。理由は全編を被う、くたびれ薄汚れた江戸の風景です。

 映画の時代設定は寛永年間。江戸初期です。徳川は葦原と原野の地に幕府を開き、お城の周りに大名旗本の屋敷を置き、大わらわで町普請を始めます。一方では島原の乱もあり、人の気分はまだ戦乱の世から抜け切れぬ時代です。

 ぼくはこの映画を見ながら、桂三木助の名演「三井の大黒」をカットバックするように思い出していました。

 落語「三井の大黒」にはこんなシーンがあります。江戸のイナセな大工の棟梁が、行き倒れのような老人を見つけます。そしてその老人が西から来た大工だと知ると、こう切り出します。

「仕事は山ほどあるが、どうにも人手が足りねー。俺んとこへ草鞋を脱いでいかねーか。三年でも五年でも働けば、懐を暖かくして国へ帰ぇーれるぜ」

 ところが草鞋を脱いだのはいいのですが、飯を食って寝るばかりで一向に働く気配がありません。とうとう痺れを切らした棟梁、こう老人に説きます。

 「江戸は火事ばやい所だから、立派そうな家構えで、百人の手間が掛かっているなと思っても、中を見ると八十人の手間しか掛かっていない。また火事になると思うからどうしても雑になる…。江戸の大工の仕事はこんなもんだから、お前さんのような西の大工は腕が落ちることはあっても、決して腕を磨く所じゃねー。お前さんも、江戸見物が済んだら、そろそろ国へ帰ったらどうだ」棟梁はこの老人が使い物にならないと踏みます。

 ご存じ、江戸の大工が、大工の神様「左甚五郎」にそれとは知らず、文字通り「釈迦に説法」をする触りです。

 この噺は江戸中期以降の設定と思われますが、それでも江戸初期の新しく町が膨れ上がっていく雰囲気が浮かびます。また、江戸は京都などと違い常に新しい町だったことも伺えます。

 おそらく、江戸初期は原野のあちこちに新しい普請場が建つ一方、お城の周りは大名屋敷が壮麗さを競い合うように建ち並び、またご城下には町人地と寺社地を整え、都市が機能し始めた活気あふれる時代と思われます。

 ところが「一命」に見えるのは、くたびれ果てた江戸です。なんだか情けなくなりました。

 ぼくは映画「切腹」をリメイクをすると聞き、二つのことが思い浮かびました。冒頭の井伊家三十五万石の格式の表門をどう撮るかということと、主要場面である井伊家邸内のセットをどう造るかです。

 表門は京都辺りの文化財を使うにしても、CGを使って木部を黒塗りにして門金具を金銀に換え、桃山風の華麗な造りにすることは出来ないものかと、勝手に考えました。そして、井伊家邸内だけは溝口健二も黒澤明も裸足で逃げ出すようなセンスが良くスケールのでかいセットを造って欲しいと心から願いました。

 ぼくは井伊家の質実であり華麗な佇まいの邸内を空想していました。ところが出て来たのは、墨汁で襖や壁あらゆるものを汚したように見えるセットです。ぼくには悪夢でした。また、ロケ地も寛永期の江戸には見えませんでした。

 そもそも江戸は新開地です。人文を重ねた地蔵群も、古寺も似合いません。

 「十三人の刺客」で 監督・三池崇史は、ぼくらが待ち望んだ素直に温故知新を標榜する時代劇を作ったように見えました。今回は的が外れたようです。

 映画は「夢の塊」ですが、悪夢はいけません。

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by arihideharu | 2011-10-27 04:53 | 映画・演劇 | Comments(0)
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