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わくわく挿絵帖
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謎の画家 小倉柳村
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 明治になって十数年経ったころ、小倉柳村という風景木版画家が登場します。徳川の世が続いていたら浮世絵師の範疇に入る画家です。

 美術史を覗いていると、極めて少数の作品しか現存しないに関わらず、歴史に名を留めている絵描きを見つけることがあります。彼等は多くの場合「謎の画家」と呼ばれます。絵以外に記録がないことが多いからです。その理由としては短命であったとか、売れなくて早々に止めてしまったとか色々考えられます。いずれにしろ残った少数の作品がどれもが圧倒的に良質であることとユニークであることが前提となる呼称です。

 メジャーな例としては、近年人気のフェルメールや写楽などがいます。しかしこの小倉柳村は謎の画家に違いありませんが、そんな輝かしい存在ではなく、あくまでひっそりしています。というのも記録に残る彼の活動期間は明治十三年から十四年までの二年で、その間九枚の錦絵を残したのですが、出来のいいのが「湯島之景」というタイトルの一枚だけだと言っていいからです。もしこの絵がなかったら埋もれたままと考えられます。それほどこの一枚だけはすこぶる名画なのです。尤も、ぼくが見たのは九枚中六枚だけなので、この断定は少々早まった表現かもしれません。

 柳村をぼくが始めて見てから三十年と経ってないと思います。明治を代表する風景浮世絵師「小林清親」を紹介した画集で見たか、あるいは歴史資料の中で見たと思われます。文明開化のこの時代、北斎・広重よって確立された風景錦絵は西洋画の手法を取り入れ変貌します。すなわち総てのものに陰影を描く試みを始めます。実行したのは明治元年に二十歳だった小林清親です。これによって木版画は石版画のような色合いと奥行きあるいは空気感を持ちます。江戸期の錦絵と違う点はそれだけではありません。陰影をより強調するために、夕方から夜の風景の割合が極端に多くなります。レンブラントやジョルジュ・ド・ラ・トゥールがとった方法論です。つまり光と闇の対比です。といっても漆黒の闇ではなく、仄暗い闇です。そんな夕闇の錦絵を描く一人に小倉柳村がいました。大体は小林清親の付録的扱いで紹介されることが多く、ぼくの認識もある時期まで似たようなものでした。

 それが、今住む小平市に引っ越したばかりの二十年ほど前、近所を車で散策していたとき、偶然見つけた「東京ガス資料館」という煉瓦造りの建物の中で、小倉柳村のオリジナルに初めて出会ったのです。

 この資料館は文明開化の象徴であるガス灯から始まる、ガスにまつわる歴史を珍しい蒐集品をまじえて紹介する博物館で、その一角にかなり充実した明治期の錦絵コレクションがあったのです。

 あれほど多くの錦絵を一同に見るのは初めてだったかもしれません。しかも未見のものが多く驚きました。その多くは三代広重はじめ歌川派の絵で占められ、明治らしい底抜けに明るい風景が洋館やガス灯、馬車・人力車、汽車・蒸気船などとともに描かれています。そして、ふんだんに使われた鮮やかな赤と藍の絵の具、初期の錦絵の色味とは雲泥の差です。それに見事なグラデーション…。まさに錦絵の完成期です。「ブラボー!」ぼくは思わず拍手を送りたくなりました。

 やがて階段を上り新しい階に入りました。それまでとは異質な一角があります。暗く沈んだ色合いの小林清親一派の作品群です。本物を見るのは初めてでした。

「なるほど…、これは新しい」と思いました。さっき拍手をしたくなった歌川派の連中はモチーフこそ文明開化ですが、絵そのものは江戸時代の延長線上にあります。しかし小林清親に至っては明らかに近代に突入しています。あの時代、彼のみが決然と新しい錦絵を拓くべく作画を試み呻吟したように見えます。多くの試行錯誤の跡がそれを証明しています。その勇気に感服するしかありません。
 
 小林清親が描く夕闇画は、それまでの錦絵と違う点は陰影をつけたという技術的点だけではありません。絵に新たに情感という回路を意識的に付け加えたようとしたふしがあります。というのは、夕闇は見る者に妙な気持ちを呼び覚ます装置なようなところがあって…、例えば郷愁とか哀切です。彼はある時期から意識的に夕闇を描くことによって、心の奥底に誰もが持っている、あるいは欲している何かを表現しようとしたのではと思うのです。おそらく、この心の中にある何かを表現することが小林清親にとっての近代だったと思うのです。

 しかし、小林清親の試みは必ずしもうまくいったわけてはありませんでした。悪戦苦闘の連続だったと思います。何しろ新しい錦絵を作ろうとしたのですから…。例えば影のつけ方を上手くやらないと絵全体が汚れて見えること、また上手くいったとしても今度は絵自体が日本の風景でなくなってしまうことなどです。それに技術的に克服しなければならない問題もあったことでしょう。パイオニアというものは大変です。

 そこに小倉柳村が登場します。彼は清親の方法論を踏襲します。決して上手い絵描きではありませんでした。というより素人くさい絵です。ところが一枚だけ清親以上に成功した絵が完成します。それが「湯島之景」です。
  
 小倉柳村は謎の絵描きです。小林清親の弟子であるのかも分かっていません。その日「東京ガス資料館」で多数の錦絵を個々に感動を覚えながら見てきたつもりだったのですが、家に帰って思いを巡らすと記憶に焼きついているのは小倉柳村の「湯島之景」だけでした。

 絵は真夜中の風景です。雲の合間から満月が見えます。手前は湯島の高台。そこに二軒の連れ込み宿の障子明かりに照らされて、印半纏の職人と黒衣の神父が、後ろ向きに並んで静かに立っています。眼下には上野神田界隈の町並みが江戸時代と変わらぬ姿を見せています。

 このくすんだ鶯色で縁取りされた絵には、不思議な磁場のようなものがあります。というのも見る度に、この絵に吸い込まれそうになるからです。

 若い絵描きは、たった1枚でも会心の絵が出来たらその場で死んでもいいと思うものです。小倉柳村はなんと幸福な男でしょう。いわば、一枚の絵の記憶しか何も残してはいないのですから。

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by arihideharu | 2011-12-22 04:10 | | Comments(0)
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