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わくわく挿絵帖
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映画『007 スカイフォール』
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 映画好きは映画を見ながら、映画の夢を見ます。
 例えるなら、評判のレストランの料理が期待以上だったとき、ぼくたちは無意識にかつて堪能した味の記憶をひもとき幸福の思い出を蘇らせ、目の前の料理に舌鼓を打つ構造に似ています。
 美味が幸福センサーを刺激するように、面白い映画もまたそのセンサーを刺激し、堪能した名画の記憶を蘇らせます。
 映画『007 スカイフォール』はいわば、老舗料理屋の新しいコース料理です。客は変わらない伝統の味の中に、最先端の新しさも求め、期待のハードルは高くなる宿命の中にあります。
 
 冒頭から始まるアクションシーンで、ぼくらはトム・クルーズの『MI』シリーズやマット・デイモンの『ボーン』シリーズと比べても、主演ダニエル・クレイグの体技が遜色ないのを見て半ばほっとし前菜を賞味します。同時に初期ボンドのショーン・コネリーの殺陣が緩慢だったことを思い出し、活劇の進化と映画技術の進歩に隔世の感を覚えます。また、日頃からダニエル・クレイグがスティーブ・マックイーンと似ていると感じていた人々は派手なバイクアクションで、その感を深めたはずです。このように出だし10分で切れのいいアクションを見せ、観客を引きつけ、その間多くの映画ファンは古いアクション映画の夢を見たはずです。最新の「007」はこのように傑作の予感で幕が開きます。
 
 追っかけは活劇の基本です。さすが老舗のメニューです『スカイフォール』はその基本で始まります。しかも、市街地の屋根を使った追っかけは主人公の墜落で終わり、ヒッチ・コックの『めまい』を連想し、これにより今回の最大の敵は美貌のヒロインや未知の部外者ではなく、自分自身を含めた内部にいることを予告します。
 それは冷戦の終了で、ヒーローものの敵が分かりやすい外部の組織ではなく、決戦にのぞむアスリートのごとく敵は己自身の中にひそみ、あるいは自分とよく似た境遇の実力者という、もう一人の自分とのバトルという構図の踏襲です。
 近年の「バットマン」や「スパイダーマン」、「トイストーリー3」の敵との類似性です。かつて宮崎駿が『天空の島ラピュタ』で予言したように敵は己自身の血、または人類そのものというニヒリズムの前兆がそこにあります。同時にそれは古典劇そのものです。
 「スカイフォール」の意味は分かりませんが、ボンド家が代々、天の落ちた場所、あるいは天から堕ちた者のすみかに住んでいることを匂わせ、明らかに新しい神話を作ろうという意図が伺わえます。

 そして後半に入ります。メインディッシュは木製の上げ戸に収まった、創業時絶大な人気があった一皿です。すなわち古い車庫に収まった「アストンマーチDB5」の登場です。勇者は天馬を得ます。本作カタルシスの始まりです。このとき、幸福センサーの針はふりきれ計測不能となります。 
 ぼくたちの世代、洋画体験は『007』から始まります。例えるなら、筆おろしの敵娼あるいは初めての男との再会のようなもの…。感極まります。ぼくは涙が本編終了まで止まらなくなりました。
 挫折と虚無の淵にたたずむ近代をのり越えるのは、無垢な少年や少女の夢への回帰ではなく、老兵と老妓のナルシシズムの匂いがするローテクという、前近代を継承したもがこの先を生き残るという逆説がここでも証明される結果となります。これは伝統を伝えてきた欧州人の矜持です。これが本来の保守主義で、美味を作り出す方法はこれしかないという結論です。

 最後に『007 スカイフォール』がシリーズ最高傑作になった決め手は、「007」を演じるダニエル・クレイグの鍛えた裸像が無駄な筋肉をもったボディービルダーのような逆三角形ではなく、着痩せして見えるズンドウ型で、それはハードボイルドを支える正統な肉体をあらわしていたからです。

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by arihideharu | 2013-01-16 23:52 | 映画・演劇 | Comments(0)
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