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わくわく挿絵帖
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「ハードボイルドじゃないぜ」映画『96時間 リベンジ』
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 活劇は黎明期から映画の華で、ヒーローがどんな敵でも何人いようと、ばったばったと格好良く倒すのが、観るものをすかっとさせ映画の人気を支えてきました。
 伝説のチャンバラ映画『雄呂血』は無数の敵をたった一人で打ち負かす殺陣が見所になり、座頭市やマカロニウエスタンは瞬時に多数の敵を倒すのが見所となりました。
 いずれにしろ活劇は人殺しを見せ物化するわけですから、そこには暗黙のルールがあったと思います。それは殺される方に過度の人格や人生を背負わせないという決まりです。多数の敵を倒す場合はなおさらです。死んでいく敵は切られたワラ束や撃ち抜かれた空き缶と等価という前提があるから活劇は成立するのです。でないと歓声は悲鳴に変わることになるからです。

 ところが映画『96時間 リベンジ』はこのルールを破るという暴挙にでます。
 シリーズ1作目の『96時間』は小気味いいアクション映画の快作でした。ストーリーは、年頃の愛娘が旅先のパリで人身売買組織に誘拐されるのが発端で、それをとうが立った元CIA工作員の父親が、たったひとりでのり込み救い出すというものでした。この一見疲れた顔のオヤジ、おそろしく強く、ほぼ無傷で1対多数の戦いを制します。いわばサイレント時代からある、恰好よく人殺しを見せる、おとぎ話のような活劇スタイルです。
 そして本作『96時間 リベンジ』は、前作で倒された極悪非道の悪人たちにも恋人や親兄弟がいて、彼らはリベンジすなわち仇討ちを企てます。それを今回も短時間に、例のオヤジが圧倒的無敵ぶりで返り討ちにするという筋立てです。
 ここで問題が起きます。映画の冒頭で前作で死んでいった者たちの葬式シーンを『ゴッドファーザー』のようなドキュメンタリーな映像で見せたことです。当然、観客は今度の活劇は悲劇の末路を予感したはずです。なぜなら、死んでいくものがワラ束や空き缶と等価ではないという前提を与えたからです。
 しかしながらこの映画、最後まで徹底したB級ぶりを崩しません。すなわち、何の憐憫もみせずに1対多数の戦いを圧倒的強さで今回も制して終わるのです。
 これで観客は能天気な活劇を観ているというより、無差別殺人の現場を見ているような気持ちの悪さを覚えます。
 
 椿三十郎は人を斬ったあとは、おそろしく不機嫌になり、ブルース・リーは残心の中、虚空をみつめ悲しい雄叫びを上げます。それは彼らなりの弔いの儀式だったと思います。
 映画の作法として、死んでいく者に人格を持たせたならそれ相応の礼儀というものがあるはずです。
 「これじゃちっともハードボイルドじゃないぜ」ということです。
by arihideharu | 2013-02-10 05:51 | 映画・演劇 | Comments(0)
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