ブログトップ | ログイン
わくわく挿絵帖
sashieari.exblog.jp
仇討
b0185193_19393963.jpg


 どうも、映画『96時間 リベンジ』を観てから気持ち悪さが続き、その正体を考えているうち、殺人や仇討のことを考え始め、最後には死刑廃止論のようなものにたどり着いてしまいました。また、その過程でいやな臭いが消えず、これを書いてしまわないと臭いが消えないように思い、少し書いてみます。

 「やられたら、やり返す」というのは、人の感情としても社会的道理としても、ごく自然なことで、人殺しは死をもって罪をあがなうことは古今東西普通に行われていたと思われます。
 また、ぼくが時代小説を読み始めたころの筋立てには「やられたら、やり返す」いわゆる仇討ものが今より割合が大分多っかたと記憶します。言うまでもなく仇討は武家社会の合法的私刑です。
 戦乱をくぐった侍の心得としては、なん時も自らは刀を抜かないのが最上の策ですが、そのためには相手に刀を抜かせない工夫が必要です。すなわち、武芸の鍛錬を怠らず、いつでも戦いの備えをして、世間にあいつは強いぞという雰囲気をそれとなく醸しておく。つまり抑止力です。
 しかし、大概の侍は腕以上の刀をもち、つまらないことでカッとしてそばにある刀を抜いて、気がつくと大切な隣人を殺している。これが小説に出てくる仇討ものの発端の多くです。
 そのため、仇討は友人知人を討つことになり双方とも多大なダメージを受け悲劇を生む結果となります。
 武士の面目だ、義のためだといいながら、実際は今とさほど変わらず色や欲、嫉妬やつまらいプライドが主な原因でしょうから、討つ方も討たれる方も後味の悪さがだけが残ったことでしょう。
 さらに警察制度が整っていない時代、仇討は残った縁者がカタキを捜し討つというのが定法ですから、10年20年とカタキを求めているうちに、恨みがいっそう深くなることもあったでしょうが、馬鹿馬鹿しくなる者も多かったと思われますし、いずれにしろ心身とも疲弊します。
 また、討たれる方もなんのための一生と、自問自答しながら逃げ続ける人生に暗たんとしていたに違いありません。
 もし、仇討が倫理的に正しいというなら、それは唯一、カタキとされる者が背負った罪の苦しみを断ってやる、武士の情け以外にないと思われます。つまり、命を断ってやることで苦悩から救ってやる慈悲です。
 遡ると、近世の仇討は陣中の喧嘩両成敗が影響いているらしく、戦場では味方の兵隊同士、殺した方も殺された方も両方悪いとう理屈です。しかも面白いことに、仇討は決闘法式で行われ、勝った方が正義を勝ち取るという強引なやり方です。ただ討つがわは、不意を突くことも助太刀を用意することも可能ですから、仇討が成就することが自然多くなります。勿論、返り討ちも大いに可能ですから、腕にものいわせ己の正義を立証することも出来ます。その場合、新たな仇討は幕府は認めなかったようで、以後は喧嘩の類とされたようです。

 「リベンジ」イコール仇討を近代的に合法化したものが死刑制度とするなら、死刑制度は「やられたら、やり返す」を認める体系になります。それを国家間に置き換えると、とりもなおさず戦争を肯定する理屈にたどり着きます。

 おそらく、映画『96時間 リベンジ』が後味が悪く感じられたのはこれと関係しているような気がします。つまり、殺しの連鎖です。

b0185193_19401069.jpg

by arihideharu | 2013-02-25 20:40 | 映画・演劇 | Comments(0)
<< 見習い同心 バチあたり >>