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わくわく挿絵帖
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同心の家
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 江戸町奉行所の定廻り同心ともなると、パトロールに連れていく2・3人の小者以外にも屋敷に同数ほどの小者が下働きの合間に捕縛術の稽古をしながら、住み込んでいたといいます。彼らは捕り物時は、六尺棒や刺す股をもち捕り方の要員となり、日頃はケータイのない時代ですから伝令として重宝されたと想像できます。
 さらに、同心の屋敷の勝手の土間には常時酒樽がおかれ、ふるまわれたとありますから、八丁堀の旦那衆の華やかさがうかがえます。おそらく、やり手の廻り方同心の屋敷にはひっきりなしに、相談客や手先が出入りし、半ば役所の出張所のようなありようだったと考えられます。
 そして主の留守の間、それを仕切っていたのは「ご新さん」「ご新造さま」と呼ばれた同心の妻女です。
 となると、八丁堀の旦那衆の家は公私の区別もなく武家の住居というより商家のありようで、家業として市政の一翼担っていたと考えられ、他の旗本御家人衆とはだいぶ違っていたのでしょう。
 ようは八丁堀は特殊技能を備えた村のようなもので、旦那も妻女も八丁堀育ちでなければ務まらない仕組みになっていたと考えられます。
 その結果、江戸期270年の間、南北合わせ与力50騎に同心約120人の家は濃淡はあっても総て姻戚関係にあったといわれ、今となっては想像しにくい社会生活です。
 したがって、八丁堀の役人の家は、妻帯は絶対条件で、また跡継ぎがいないことは最大の憂いであったことが改めて分かります。 
 またこの絶対条件をクリアしても、どこの家も代々能吏を供給するはずもなく、明治になってから、もと町与力からの聞き書きによると、与力50人のうち役にたつ者は半分ほどで、あとは誰でもつとまる役で一生終えたとありますから、同心の家でも同様だったと考えられます。
 太平の世とはいえ、幕府組織のうち江戸町奉行所はもっとも実用でなければならぬ役所ですから、重要なお役には俊英かつ人望のあったものが就いて、あとは適当にやっていたというイメージだと思います。
by arihideharu | 2013-07-30 00:05 | 挿絵 | Comments(0)
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