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わくわく挿絵帖
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映画『シン・ゴジラ』
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 最初のゴジラが作られたのが1954年、ぼくの生まれた年です。
 ぼくらの世代にとって映画に行くとは、ゴジラを見に行くことでした。モスラやキングギドラは小学生の夏休みの夢をすべて飲み込みました。
 日本を俯瞰し日本列島を認識するのはゴジラの行動範囲から始まります。つまり太平洋を北上し東京湾に現れる過程で、島国日本の概要を覚えるのです。
 
 ぼくは特にゴジラファンという訳ではありません。おそらく少年期を脱するに従い、ゴジラのフィクション性が幼稚に見えてきたせいだと思います。
 それを加速したのは、アメリカ映画の豪華さが日本映画を圧倒していたことでした。

 このあとゴジラ映画のスタッフはテレビ制作にはいり、周知のようにウルトラマンをつくります。ぼくらの下の世代はこのウルトラマンにはまります。
 つまり騙されやすい年齢に、テレビという中毒性のたかい機械を見近に置くことになったからです。
 
 そんなぼくでもゴジラは全作見ています。さて『シン・ゴジラ』です。
 まず、驚いたというか感心したことがあります。ゴジラがいよいよ東京に上陸し本格的戦闘が始まるというときに、首相以下主要閣僚がゴジラによって、あっけなく死んでしまいます。
 
 これは国家として重大事件だと思うのですが、国体は何の動揺も見せず、淡々と代わりの首相を決め防衛戦を続けます。
 読みようによっては、国家組織がしっかりしているといえそうですが、あきらかに作者の意図は我が政府の指導層は誰がなっても同じという皮肉です。
 これがアメリカ映画なら、大統領を簡単に死なせるようなことはしないと思いますし、あったとしてももっとドラマチックにあるいはセンチメンタルに描きそうです。ましてや独裁国家では、この設定はありえません。
 
 それは日本の中枢が空なることを意味し、我々観客は日本の組織が持つ、かなり古くからある特性だということを知っていますから、なんの抵抗もなく見過ごします。
 結局ゴジラをやっつけるのは指導層の力ではなく、現場の馬鹿力と偶然の積み重ね、我々がよく出会う結果オーライの結末です。
 とりあえず災害は終わってしまえば、過酷過ぎる体験など誰もが忘れてしまいたい訳なので、次に備えての準備もそこそこになるのが大体の常です。

 ゴジラは核問題という現代文明の負の遺産が作り出した化け物です。しかし正体は、忘れた頃におこる大規模自然災害や、いつも海からやってくる戦争の比喩であることは、ぼくらは知っています。
 天災は被害を最小限にくい止める努力をするにしても、基本的に通り過ぎるのを待つしかありません。しかし戦争は始まってしまったら、勝つにしても負けるにしても、とりあえず戦うしかありません。
 ゴジラはこの二つの性質を持ちますから、基本戦略は半ば戦い半ば通り過ぎるのを待つということになります。

 古来より我々は、この方法で大概の災いに過不足なく対処してきたせいか、いやに自信を持っています。
 古くは海を越え大陸から大挙して押し寄せた渡来人たちは農耕と戦争を持ち込み、日本を飲み込もうとしました。しかし、深い森に覆われた山々に阻まれ、いつの間にか縄文人と同化し一緒に森を守り、お天道さまを拝みながら田畑を耕すようになります。
 蒙古が襲来したときも、結局は海とお天道さまが防ぎました。
 それ故、我々は今でも天の神・地の神に柏手を打ちます。

 しかし、この神々は我々がおごり隙を見せたとき、大あばれし天罰をくわえます。
 先の負け戦も、最強の破壊力を持った『シン・ゴジラ』もトップクラスの天罰といえます。
 映画のクライマックスで凍結作戦が功をそうし、ゴジラは弁慶のごとく立ち往生し破壊をやめます。
 そのすぐ先には縄文の森にかえった皇居があります。
 またしても森に棲む守り神が我々を救ったのかと、ぼくは思いました。

by arihideharu | 2016-09-26 16:32 | 映画・演劇
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