鈴木春信(1725?〜1770)、喜多川歌麿(1753?〜1806)、歌川国貞(1786〜1865)の美人画を眺めていると映画やテレビの時代劇の風俗は、どうやら明治以降のそれを基本に置いていることが見えてきます。
先ず一番に目につくものは、女性の着物の着こなしです。
現代の感覚からしたら奇妙に見えますが、江戸文化の成熟期は成人女子の着物は丈が長くなり、武家や商家の屋内では裾をひきずる丈で着るのが常態でした。
しかし、外出のときは当然じゃまですから片手で裾を持ち上げ、あるいは少し遠出のときは、手で持つかわり「しごき」と呼ばれる柔らかい帯で着物の上から結んでおさえました。
ファッションは変遷します。
明治に入ると、日常的着付けは腰のあたりで長い裾を「しごき」を使って、「おはしょり」つまり折り返しを作り、引きずらない程度まで丈を調整するようになります。このとき「しごき」は折り返しの内側に結び、その上から帯を結びます。
時代劇映画は初期段階から、このスタイルを採用します。
要するに、映画やテレビの時代劇で見る女性の着付けは、江戸期のものではなく、ほとんど現代のものということになります。
もう一つは髪型です。
成人女子の髪型は江戸中期以降、四つのパーツに分けて結うのが一般化します。
正面から見ると前髪と呼ばれる、額の上二三寸を頭頂で束ねた三角形の部分と左右の耳の上をひさしのように被さる鬢(びん)。頭頂からやや後で様々な形で結ばれる髷(まげ)。襟足から上、髱(たぼ)と呼ばれる後ろ髪の四つです。
この四つのパーツは時代によって身分年齢によって、変化します。
しかし、ほぼ変わらないパーツが一つあります。
それは前髪です。
浮世絵を見る限り前髪は頭の輪郭にそって、きりっと頭頂で結ばれているのが大方です。
ところが時代劇の日本髪では、この前髪が大きく膨らんでいます。
これは田舎芝居のような段階から始まった活動写真ですから、カツラのクォリティーの問題もあったと思います。
しかしながら、ぼくはかなりの部分、明治以降の髪型の流行が影響したと思っています。
幕末から明治以降の日本髪の変遷を写真で見ていくと、あきらかに前髪の形状が変わり、前に突き出すように大きく膨らんでいます。
日本映画の黎明期を考えれば、撮り始めた連中は明治生まれで、彼らにとって江戸時代は手の届く範囲でした。日常的に誰もが着物を着て、日本髪の女性がたえず側にいますから、男子のチョン髷と帯刀を除いたら、風俗は江戸期とさして変わらないと、ザックリ考えていたと想像できます。
まして撮影所があった京都は歴史の跡が色濃く、新撰組の騒動や蛤御門の戦も間近に見た者が生きていたことでしょうし、この錯覚が安易に普段着とちょっとした芝居装束だけで時代劇が出来ると当事者たちは胸算用したに違いありません。
おそらく、ここで作り上げたノウハウが、その後の撮影所史観になっていったと考えられます。