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わくわく挿絵帖
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カテゴリ:思い出( 10 )
「女三界に家なし」
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「オンナサンガイにイエなし」と死んだ祖母が時おり口にしてたが、子供だったぼくには呪文のように聞こえることがあった。諺は犬棒カルタで覚えるのが多いから、滑稽に聞こえるのが大概で、ところがこれだけはいやにシリアスに聞こえた。

 意味を訊けば「女はこの世に身を置く家がない」というから、穏やかではない。およそ人は、この世に帰る家がないとしたら、これほど怖いことはない。ぼくは手伝いをしながら、家そのもののような祖母の顔を見て祖母も女のはずだし、我家に三階はないし、この諺の意味をはかりかねた。
 
 少し大きくなって、分かったことはサンガイとは三階ではなく三界で三千世界とも云うこと、それは広い世界を意味し、この世の別名だと云うこと…。また、女にとって生まれ育った家は自分の家ではなく、嫁いだ処が家になるという隠れた意味があることが分かった。とすると、女に家がない訳でなくホッとした。

 ただ、祖母が「女三界に家なし」と言うときは、嫁いだここが己の唯一の身の置く処と、覚悟のほどを我が身と同時に嫁(母)にも迫る気迫の声明にもなっていたから、恐ろしい呪文のように聞こえたのだろう。そして、そんな時は決まって「男に生まれてよかった」と思った。

 尤も、その頃の大人は負け戦を通し、「家なし」どころか命および国家まで脅かされたから、この世に安寧などないと思っていたふしがあり、またそれが当時の大人を大きく見せていた。
 
 したがって「女三界に家なし」と祖母が言う時は、自分の覚悟を表していたが、暗に自分の息子や孫に、つまり男どもに女房子供を守る覚悟をその都度せまっている気が段々してきて、高校に上がる頃には、これを聞く度に、お尻がムズムズして逃げ出したくなっていた。
 
 何しろ日本が戦で負けたのは男のせいでだし、またその男を産み育てたのは女だと言うことも分かっていたから、「女三界に家なし」は女に諭す言葉ではなく、ひ弱な男を鼓舞する言葉にいつの間にかすり換わっていた。

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by arihideharu | 2011-10-31 12:32 | 思い出 | Comments(2)
「馬鹿もん!何をしてるんだ!」
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 二十代の半ばを過ぎたある冬の日、新宿での深夜のバイトを終え、そのとき住んでいた国立駅に着き、疲れた多くの人々とともに改札を出ました。

 80年代の駅前の風景というと、駅の周辺はいうに及ばず、駅からかなり離れは商店街の歩道にも、夥しい数の自転車が重なり置かれていました。そのときは深夜でしたから、さすがにぐっと減っていますが、それでも所々に自転車の群を見ることが出来ました。

 ぼくがいつも自転車を置く場所は、駅から直ぐ近くの銀行の前の歩道でした。駅から出ると当然、ぼくは自転車のある方へ向かいます。

 すると、流れに逆行して歩く三四人の学生風の男のグループが目に入りました。彼等は銀行の前をゆっくり歩いています。躰が少し揺れているのでアルコールが入っているのが分かります。

 その中で特にふらついて歩いていた一人が、よろけました。そしてその男はよろけたついでというように奇声を発しながら、振り払うように手近な自転車を故意に押し倒しました。

 ぼくは自転車が将棋倒しに盛大に倒れることを予想し、一瞬身構えました。ところが自転車はキレイに並べられている訳ではありませんから、倒れたのは二三台で思ったほど倒れません。

 その時です。直ぐ背後から「馬鹿もん!何をしてるんだ!」

 良く響く声が轟きました。声の主はすたすたとぼくの前を通り過ぎて行きます。

 一方倒した男の方は、叱責されよっぽど驚いたらしく、気合いで吹っ飛ばされたように後ろに倒れ込んみ、むしろさっきより大がかりに自転車を将棋倒しに倒してしまいました。

 武芸者のような声を発したおじさんの方は、そのグループとすれ違いざま「直しておけよ」と言って、すたすたと角を曲がって行きます。
 
 「ああー、なんて恰好イイんだろう」おじさんの後ろ姿を見ながら、思いました。

 実はぼくはそのおじさんのことを少し知っていました。ぼくのアパートへ行く途中の家に住む彫刻家で、高橋是清のような薄いおつむに立派な白髯を蓄えた、かなり小柄ながらがっしりした躰を持ったおじさんです。また市報で紹介記事を読んだこともあり、興味を持っていました。

 目を若者の方へ向けました、彼等は固まりどうするか相談しているようでした。それを見ながら、ぼくは自分の姿をその中に見ていました。ぼくがその中のひとり、いや自転車を故意に倒した男であってもおかしくない…。実際に泥酔しながらやったような記憶もあるのです。

 ですから、背後から「馬鹿もん!何をしてるんだ!」の声を聞いたとき、ぼくは自分が怒鳴られたと思ったほどでした。

 自転車に乗り角を曲がり、シャッターの降りた商店街を行きながら「ぼくはそろそろ、あの若者達の側から離れなければ…」と考えていました。

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by arihideharu | 2011-10-08 17:14 | 思い出 | Comments(0)
この世に身を置く確かさ
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 田舎育ちのおばあちゃん子というのはなかなかイイもんで、子守歌がわりに昔話しや世間話しを聞き、所作や心掛けを真顔で説かれ、年中行事の手伝いに、日々の散歩は墓参り、ご祝儀香典の度に墨を擦り、この世のことは金しだい、何より算盤勘定は大事だが、身の程知らずば己ばかりか家族一同身の破滅と因果をふくまされる。されど彼岸の度にぼた餅と五月の節句のチマキは子供の至福。

 気がつくと膝の上で遊んでいた時から、茶ばかり飲んで嫁の悪口から始まり苦労自慢、人の幸不幸と生き死にと、この世の移り変わりばかりかあの世のことまで聞いていたものだから、十になるころには自分の躰に様々な人の人生を宿しているような錯覚を覚える始末。

 おまけに人様と交わるより、空想したり工作するか絵を描くことが好きだったから、この世にいる時間が少なくなるありさま。やがて中学に入る頃色気づくと、世間との折り合いバランスの取り方に悩まされた。しかし、三つ子の魂なんとやら、基本は同じまま。このやり方で50年、これでよく所帯を持てたものだと思う次第。

 一口に絵描きといっても、これが商売になるのが不思議が道理。自分でもどうして成り立つのか分からない。お百姓が土を耕し米を作る程の確かさや、医者のようなに痛みや病根を断つ確かさもない。ただ、空想に耽っていただけの人生で、罪悪感が鈍痛のように常にある。世のため人のための人生もあったろうにと思う。
 
 加えて、この頃はEメールで仕事の依頼を受け、画像を添付して返せば、人に会わずに仕事が成り立つから、時々自分はこの世に存在しているのかと不安になる始末。

 ただ、幸いぼくには子供が3人いて、彼等の成長を見ていると自分が親として存在しているのに驚き、やっと自分もこの世に存在しているのに気づく。もしこれがなかったらぼくは狂っていたに違いない。

 子供の頃の確かな記憶、春の散らし寿司と夏の白玉、秋の栗ご飯と土瓶蒸、冬はきりたんぽ、つまみ食いとお代わりは孫の役得で、思えばこれがこの世へ未練の事始め。長じて、酒と肴を求める今の己の姿に似て、この時はさすがにこの世に身を置く確かさを噛みしめる。

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by arihideharu | 2011-09-17 23:44 | 思い出 | Comments(0)
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 秋田県横手市にある実家の土蔵の二階には、古い長持がいくつかあります。今夏は数年ぶりに墓参りに帰ったおり、その一つを開けてみました。黒塗りの一番大きい見覚えのあるヤツです。おそらく、40年以上開けられたことがないと思います。

 留め金具を外しフタを両手で開け、中央に置かれた杉材のつっかえ棒を片手で立てフタを押さえます。思った通り、ホコリっぽい匂いと供に手触りで古い寝具があるのが分かります。その下には本身の刀が何振りかあるはずです。
 
 ぼくの記憶の中にある刀といえば、戦前から昭和30年ぐらいまでの我家の家族写真の中に、床の間に置かれた大小の刀が写ったものがあります。士族の家系でもない我家です、おそらく節句のときにでも飾ったと思われます。残念ながらぼくには実際の記憶がありません。ただ、土蔵の長持ちに入れてあることは良く知っていました。

 ぼくが初めて一人で刀を手にしたのは、小6か中1のころで、やはり夏だったと思います。我家の土蔵は内蔵(うちぐら)で、鞘堂がついた形です。したがって夏でも割合涼しく、特に倉庫に使われている一階は暑い盛りの昼間など一段とひんやり感じました。そこで夏休みになると人の出入りのある一階はともかく、絶対と言っていいほど人の来ることない土蔵の二階は絶好の隠れ家でした。そして、二階は照明が入っていせんでしたから鉄格子の入った窓下が特等席になりました。そこは時々マンガ本をどっさり持ち込んで読む場所でもありました。

 兼ねてから刀を探し、手にすることを長年思い浮かべていたぼくは、昼下がり土蔵の二階へ上がりました。照明がありませんから陽が当たらない所は真っ暗です。用意した懐中電灯で照らしながら長持を調べ始めました。

 少し苦労をしながらも、何竿目かに探し当てました。布に包んだ刀が手触りで分かります。ずっしりと重いその塊を持ち上げ広げると、様々な種類の刀が出てきました。その中でぼくが覚えているのは大小ペアになっている刀と皮鞘の刀、それに平打ちの短刀です。

 考えてみると、二振りの大小は床の間に飾られていた例のもので、皮鞘は軍刀で親父が陸軍から持ち帰ったもの、短刀は死者の胸に置かれる儀式用と今では想像がつき、いずれも昔の日本の生活にある程度必要とされたものと分かります。

 ぼくはこの日、夏なのに長ズボンに靴下、運動靴まで履いて、腰のベルトに刀を差しました。勿論、ズボンや靴は防備と滑り防止です。防備とは刀の刃で自分を傷つけないためです。
 
 刀は大小ペアの大を選びました。侍が持っていそうな刀に見えたからです。鯉口を切りゆっくり抜きました。思ったより簡単に抜けました。構えてみます。少し振ってみます。ちょっと錆びていますが、本物だという充実感と実物の重さの手応え、そして武器を持った怖さが両掌に汗となって出てきます。

 おそるおそる斬る真似をします。それから、慎重にゆっくりと納刀します。また、ゆっくり抜いてみます。ちょっと振り廻してみます。納刀します。何度も繰り返しました。

 ぼくにはチャンバラ小僧として棒切れから始まる長年のキャリアがあります。また数々の剣戟スターを見て来て真似た自負がありました。それが調子に乗り過ぎたもとでした。

 その時は座頭市の殺陣を頭にイメージしました。逆手斬りでこそありませんでしたが、抜く手も見せず、抜き打ちに斬り納刀するつもりでした。

「いたっ!」左手に痛みが走ります。納刀の瞬間、親指の腹に刃が入ったのが分かりました。窓から差し込む陽がむくむくと盛り上がって広がる赤黒い血を映し出します。あとは床が濡れ、拭き取ったときに生温かだったのを覚えています。

 傷は深くも浅くもない通常の範囲とかってに判断し、その時は自分だけで応急処置をして済ませました。ただ、それ以来、長持を開けることはありませんでした。

 あれから40数年、あの刀と再会したくなりました。どんな刀だったか確認しようと思ったからです。

 手探りで大小二振りを取り出しました。「あら!」あの床の間に飾られた大小のペアだと分かります。何とも、簡単に出て来たものです。

 あの日以来、誰もこの長持ちを開けていないとなると一番手に取り易いところにあるのは当たり前のことでした。

 刀は黒鞘で、柄糸は何色か分からない黒っぽい色です。ぼくは大刀の柄を握りました。目釘がずれていて掌にあたります。「あっ」あの昼下がりの感覚が呼び覚まされました。この柄を少し強く握るとき、右掌に目釘があたり痛いのです。紛れもなくあの時の刀です。

 よく見ると柄が、ぼくの持つ居合い刀より一寸ばかり長いようです。抜いてみます。恐ろしく細身に作られ、かなり短めです。おそらく2尺2寸というところです。しかも樋が入っています。なるほど軽い訳です。これなら子供でも扱えます。ぼくは構え、軽く二三度振り下ろしてみました。「ヒュッ、ヒュッ」なかなか良い樋鳴りがします。

 最後に少し強めに振り下ろしたとき、風の通らない土蔵の二階に不穏な空気が満ちてきたように感じました。そして同時に「もう止めとけ」という声が聞こえた気がしました。

 多分、この家に棲む死んだ親父たちの声だったと思います。勿論、ぼくはすぐに止め埃っぽい土蔵の二階を後にしました。

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by arihideharu | 2011-08-30 04:19 | 思い出 | Comments(0)
フィンガーピストル
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 ふたたび、新宿で夜間のバイトをした帰りに出会った不思議な出来事について書こうと思います。

 その日新宿駅の中央線下りホームは、電車が出たばかりで終電間近にも関わらずまばらな客しかいませんでした。

 ぼくは列の先頭に立ち電車の到着を待っていました。何気なく左隣の列に目をやると、先頭の学生風の痩せた男が、腕を水平に突き出し親指と人差し指でLの字をつくり、ピストルを撃つ真似をしています。

「ずいぶん子供っぽいことをしているな」とぼくは思いながら、彼の人差し指の先を見ました。すると線路を隔てた向かいの壁に、ウイスキーの宣伝なのか棚に酒瓶を並べたポスターが貼ってあります。

「なるほど、これはお誂え向きだ」

 そうです、子供のころ縁日でやった射的をやっている気分にその男はなったのだと分かりました。彼の頭の中では指先からはコルクの弾が猛烈な勢いで飛び出しているに違いありません。ぼくは思わず苦笑いをしました。

 ところが何度か彼に視線を向けているうち、ちょっと違和感を覚えました。というのは彼があまりにも真剣に的を撃つ動作を何度も繰り返しているからです。その姿は、弓道の型稽古のようにゆっくりと、しかも威厳さえ感じられます。「いやに真面目、いや真面目過ぎるな」そう思いました。

 電車が到着しました。ぼくは車両が停止するのを待ちながら、左手にまた視線を向けました。さすがに奴さん、ピストルを撃つ真似は止めたようです。こころがその時です。その男は急にぼくの方を向き、右腕を伸ばし銃口を向けてきました。

「あっ!」ぼくは反射的に躰を捻りながら傾斜させました。勿論、弾を避けるためです。その時、後ろで人が倒れる気配と呻き声のような音を聞きました。しかし、ぼくは後ろの様子を確かめることをせず、停止した車両に乗り込みました。ドアが閉まり、電車が発車します。

 これだけの出来事だったら、多分ぼくは多くの空想と同様忘れて思い出すこともなかったでしょう。

 ところが次の日、テレビをつけると大きなニュースが流れていました。

 「昨日、総理大臣が新宿での街頭演説中、急に身体に異変をきたし入院」というニュースです。どうやら国家の緊急事態という気配がうかがえます。

 やがてテレビ画像は、スタジオから入院先の病院前の生中継に移ります。記者が盛んにリポートを始めます。

 それを見ているうちに、その記者が痩せた学生風の風貌を持っていることに気がつきました。 

 ぼくはすでにテレビに釘付けになっていました。昨夜ぼくに指のピストルを向けた痩せた若い男とその記者が、瓜二つではありませんか?

 しばらくの間、ぼくはこの一連の出来事をどう頭の中で処理していいものやら考えあぐねました。

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by arihideharu | 2011-07-24 23:51 | 思い出 | Comments(0)
斜視
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 今では子供もが3人いるので、入学式や卒業式・PTAと学校へ行くことがあります。その都度ぼくは、学校との相性が悪かったことを思い出します。セレモニーでの校長先生などのお話しを聞いているとき失礼なことですが、どんなに集中しようとしても眠くなってしまいます。

 子供のころを思い出すと、ぼくはおそらく今で言う学習障害で、読むことと書くことが鬼のように出来ませんでした。おまけにじっと座っていられなくって、小学生のときは良く注意されました。それに加え、黒板を良く見ようとすると眼球が内側に寄ってきました。いわゆる斜視です。

 今ではあまり見かけなくなった障害です。おそらく治療法が確立されたのでしょう。昔は良く見かけました。

 中学生のときです。空き時間に大勢で体育館で遊んでいました。その多くは鬼ごっこのようなことをしてかなり盛り上がっていました。そのとき突然、停止せよの号令が響きます。壮年の同学年他クラス担任の男教師の声です。

 我々は並ばされて叱られることになりました。理由は昔のことで忘れてしまいましたが、やってはいけない時間帯だったとか、危険行為があったとかそういうことだったと思います。

 ぼくは叱られる準備、すなわち先生の顔を注視しました。すると右目が内側に強く寄ってくるのが分かります。像が二重に見えてくるのです。ぼくは眼球をコントロールしようとしました。

 その時です。

 「どこを見ているんだ!」

 鬼の形相で鉄拳が飛んできました。

 彼はカリスマ性のある、生徒にも父兄にも人気のある颯爽とした先生でした。

 ぼくは呆然と立ちすくみながら、傷ついた心で「所詮、教師の正義など、こんなものだ」このことは一生忘れないだろうなと考えていました。

 その後ぼくは、人の顔をしっかり見て話しをすることの出来ない若者になっていきました。勿論、女の子にニッコリ笑って話し掛けるなど論外でした。


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by arihideharu | 2011-06-09 17:22 | 思い出 | Comments(1)
空中歩行
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 学生時代、新宿で夜間のアルバイトをいていたときのことです。今でも思い出すとあまりに不思議で、幻を見たのかと今は思っています。

 そのバイトは終わるのが11時半前後で、走り込んでやっと終電に間に合うとういうことがしばしばでした。終電は朝夕のラッシュとさほど変わらぬ混雑で、ぼくは座ることも叶わぬまま文庫本を片手にその当時住んでいた国立までの往復を繰り返していました。

 その日は祭日だったと思います。いやに新宿駅のホームがすいていて、遠くまで見渡せるほどでした。ぼくは南口から乗り込むので、中央線ホームの下り後尾側で待つのが常でした。終電に間に合ったのにホッとしたぼくは缶ビールを買って、煙草に火をつけました。

 ひとごごちついて周りを見る余裕が生まれました。柱を二つばかり隔てた最後尾のホームに、めずらしく羽織を着た和服姿のおじさんが目に入りました。だいぶおつむが薄くなり小太りで、後ろ手に信玄袋をぶら下げています。気がかりなことがあるのか、せわしく3メートル程の幅を往ったり来たりしています。

 それだけなら、すぐ忘れてしまったことでしょう。ところがそのおじさんの場合、往復の軌道が線路と平行ならまだしも直角に往き来をし、踵を返すポイントが白線の外側に徐々に移ってきているのが分かったのです。ぼくは残り少なくなった缶ビールを飲みながら観察を強めました。

 まもなく3回に1回はUターンのポイントがホームと線路の境界線すれすれまで来ました。

 「あぶない!」と小さく叫びました。片足がホームから出たのです。そして、もう一つの足も…。
 
 ところが、あろうことか空中でおじさんは踵を返してホームへ返って来たのです。おじさんは何ごともなかったように顔色ひとつ変わりません。

 そのとき、ホームに終電が入りました。ぼくは慌ただしく空の缶ビールをゴミ箱に入れ、電車に乗り込みました。ひさしぶりに座席に座りゆったりしたぼくは、今見た一瞬の出来事をどう捉えていいのか考えあぐねていました。

 この思い出話は半分はフィクションです。勿論、空中歩行の場面です。その頃読んだ小説がヒントになっています。ぼくは帰りの電車で読むものがなくなると、こんな空想をして遊んでいました。そして、その空想がさっぱりストーリー展開しないので、小説家には向いていないなと思い至るころ、目的地に着くという具合でした。

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by arihideharu | 2010-10-24 04:06 | 思い出 | Comments(0)
忍者もの
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 もの心がついて、一番最初になりかったものは魔法使いでしたが、簡単になれないことはすぐに分かりました。それは、呪文を唱えても術が掛からなかったからです。魔法使いは生まれついての資質が不可欠と諦めるしかありませんでした。

 次になりたかったものは、忍術使いでした。それは現代がイメージする忍者ではなく、巻物を口にくわえ印を結ぶと白い煙が立ちのぼり、姿が消えたり蝦蟇に変身したりというアレです。しかし、なるための修行の方法が分からなかったし、今に残っているとは思えませんでした。

 そこに登場しましたのが忍者でした。忍者の修行の仕方はすぐに分かりました。少年漫画誌に絵や写真入りで丁寧に解説されていたからです。ぼくは努力すればなれそうな気がしました。それには、白土三平の漫画やテレビの忍者ものの影響が大きかったのは勿論です。

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by arihideharu | 2010-03-15 04:47 | 思い出 | Comments(0)
春よ来い
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 春が近づいているのが嬉しいこの頃です。ぼくは雪国育ちですから、この春という季節にひとしおの思いがあります。

 ぼくが生まれ育った横手はかまくらの行事で知られる、非常に雪深いところです。思い出す冬景色は、一階のひさしに達するほど雪が積もり、すべての物が雪の中にすっぽり埋もれてた町並みと、それを取り囲む山々です。

 11月に初雪が降り、12・1月に積もり始め、根雪となります。3月にとけ始め、4月は残雪。長い長い冬です。ですから、春が誰もが待ち遠しいのです。

 3月頃だったと思います。年は12・3歳ごろ。ぼくはお使いを頼まれました。実家は商売をしていましたから、よくあることです。 
 
 昼下がりでした。その日はお日様がポカポカと暖かく、家の前のの道路は雪が大方とけアスファルトの路面も乾いていました。なんと嬉しいことでしょう。待ちに待った春到来です。
 
 ぼくは身支度を始めました。いつもなら、防寒着に手袋、そしてゴム長靴を履いて出かけます。お使い先の距離と、きょうの天気を計りました。それに春が来た嬉しさを加えます。ぼくは身支度をやめ、部屋着とサンダル履きで出かけることにしました。

 もう春爛漫の心持ちです。外は日差しがあり家の中より確実に暖かいし、自転車をこぐ気持ち良さったらありません。空を見上げると、冬は遠ざかり春の空の先にきらめく夏が待っているようです。
 
 しかし、それは大きい通りだけのこと、裏通りや路地はまだまだ冬が残っています。でも、負けてはいません。北国育ちの少年は、雪道の自転車乗りは慣れています。自転車をジクザクさせながら、難なく目的地に着き、頼まれ物を受け取りました。

 事件は帰り道に起きました。水溜まりになっていたワダチにハンドルが取られ自転車が倒れそうになったのです。ぼくは両足で踏ん張り、なんとか自転車を支えました。が、その拍子にサンダルの甲当てが切れてしまいました。ぼくの片足はサンダルから離れ、雪どけの泥水の中です。おまけにお使い物が入った配達袋が自転車かごから飛び出ています。裸足となった足で立ちながら、お使いものを改めました。幸い配達袋が少し濡れただけで中身は無事です。壊れたサンダルと一緒に自転車かごに入れ直します。

 ぼくはその後、裸足となった片足とともに自転車に乗り、雪の悪路では氷のように冷たくなった足で自転車を押しながら歩きました。

 気がつくと、何故か涙がこぼれています。なかなか止まりません。日は陰り始め、寒さが襲います。春がそこまでやって来ているのに、遠ざかって行きます。ちょっと切ない思い出です。

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by arihideharu | 2010-01-25 00:20 | 思い出 | Comments(0)
少年雑誌の付録
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 少し前、小学館の子供雑誌が廃刊になったというニュースが流れました。そこで懐かしく思い出したことがあります。

 ぼくもご多分に洩れず子供の頃、そういった雑誌のファンでした。多くの子供たちがそうであったように、勿論付録が目当てです。

 その中で、忘れられない付録がひとつあります。それは地球儀です。少年のぼくは雑誌という平べったいものの中に、地球儀という立体的なものが入ってしまうことが、堪らなく不思議に思ったのです。

 付録の封を切ると徐々に謎が解けていきました。

 袋の中には、ママゴトのお椀のような灰色のプラスチックの半球が、2つ重ねてありました。成る程と思いながら、ぼくは早速セメダインでその半球を、ひとつに貼り合わせました。球の出来上がりです。ここまでは納得です。

 次に折られた紙がありました。拡げると世界地図が印刷されてあります。点線に沿って切る、という指示があります。恐る恐る切りました。

 するとスイカを食べ終わったあとの皮のような形に、紙が多数に分かれました。後は球体に付けられた印に合わせて、その薄紙を丁寧にノリで貼っていくだけ…。紙が乾くのを待つのももどかしく台座に付けると、小さく貧弱な地球儀があっけなく出来上がりました。

 これは重大な事件に思えました。つまり、1枚の紙から地球儀という立体が出来るということが…。

 このとき子供の世界から別の世界に、急に連れて行かれたような気分に僕は襲われました。多分、小学校2・3年の頃だったと思います。

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by arihideharu | 2009-12-20 20:00 | 思い出 | Comments(0)