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わくわく挿絵帖
sashieari.exblog.jp
カテゴリ:音楽( 2 )
『粋な夜電波』
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 相変わらず、仕事をするときはamラジオをつけることが多いのですが、多分ラジオ好きなら共感してもらえると思いますが、今一番面白い番組はジャズサックス奏者の菊池成孔がDJをしている『菊池成孔の粋な夜電波』と思われます。
 ただ近頃、放送時間が変わったらしく、生で聴くチャンスがなくポットキャストで聴いています。これだと曲が聴けないので面白さ半分ですが、仕方ありません。
 Ipodに入っているエタ・ジェイムズの『At Last』もこの番組で流れ、惹き込まれたぼくは早速ダウンロードしたという次第でした。ついでにユーチューブで映像を確かめているうち、他のシンガーが歌う『At Last』も気に入り、五曲ばかり追加ダウンロードしました。
 このようにお気に入りの曲が増えていくのが、何より楽しみで、今まで聴いていなかったシンディ・ローパーやニーナ・シモンにも突き当たり、気がつくとビリー・ホリデイやドリス・デイあるいは越路吹雪や宇多田ヒカルまで危険なおねーさんばっかりになってしまいました。
 とは言うものの、菊池成孔氏の音楽談義、残念ながらぼくは半分も理解出来ません。何しろぼくがジャズを聴いていたのは高校生から25歳ぐらいまでで、しかも聴いていた90パーセントはレコードにおいてはジョン・コルトレーン、ライブは山下洋輔に限られ、それから何の進歩もない頭には理解できいことや知らない事柄が過ぎるのです。それでも笑いのツボが合っているので聴いる次第です。

 振り返ってみると、若いときは誰でも音楽が必須アイテムで、生活の中心に音楽があった時期が必ずあり、自分も音楽家になれたらと夢想した覚えがあるはずです。ところが、大概の人々は美空ひばりやトニー・ベネットのように歌えないし、オスカー・ピーターソンやエリック・ドルフィーのように楽器を操ることが出来ませんから、せめて流行り歌を作れたらと思います。しかし、ジョン・レノンのような天啓も、ましてやモーツァルトのように神童と呼ばれた過去もありませんから、諦めるしかありません。そこで凡夫は聴く側に廻るしか手はなくなります。
 そして、いつしか聴くことすらなくなっていきます。
 おそらくラジオ番組『菊池成孔の粋な夜電波』の面白さは、なれなかった音楽家の天才ぶりを、選ばれた日常語を機関銃のようにしゃべる菊池成孔の言葉に見つけ、憧れとともに聞く楽しさと思われます。

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by arihideharu | 2012-09-15 22:58 | 音楽 | Comments(0)
アトムの子
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 数日前の夜のことです。ラジオを聞いていたら山下達郎の「アトムの子」が流れました。山下達郎の曲は昔からよく聞き、今でも車を運転するときのぼくのテーマソング的存在で、したがって「アトムの子」はかなりの頻度で聞いている曲です。

 ところがその夜流れた「アトムの子」は司会者の説明ではライブバージョンとのことでした。ぼくはその説明に一瞬(?)になりました。それは山下達郎の曲にライブバージョンがあることは知らなかったのと、多重録音の山下達郎とライブはあまり結びつかなかったからです。ぼくは少し興味を覚えました。

 例の軽快なリズムで曲は始まります。「どんなに・・・大人になっても・ぼくらは・・・アトムの子供さ・・・」と歌が流れます。その時、山下達郎の曲は何度も聞いているのに歌詞を意識して聞いたことが一度もなかったことに、ぼくは気がつきました。歌詞に意識を集中しました。

 詩は「鉄腕アトム」を賛美する簡単な言葉が続きます。そして、リズムと演奏で盛り上げます。突然、同じリズムのまま「空を超えて、ラララ星の彼方、行くぞアトム、ジェットの限り」と山下達郎は歌い始めます。

 虚を突かれました。不覚にも涙がこぼれました。曲の間、止まりませんでした。これは一体どうしたことでしょう?

 そう、ライブバージョンは「鉄腕アトム」の歌を仕掛けていたのです。この仕掛けによって、「アトムの子」は単なる音楽ではなくなったようです。

 何故なら涙の間、こぶしを突き上げ天に向かって飛行する可愛いアトムの姿が脳裏に浮かぶのですが、同時にその姿は少年時代のぼくであり、中年になったぼくの姿でもあります。この曲は聞くものにアトムと一体化する装置になっていたのです。

 そして曲が終ったとき、愛と平和のためにアトムは今も飛び続けているのに気が付くのです。

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by arihideharu | 2010-08-15 02:07 | 音楽 | Comments(0)