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わくわく挿絵帖
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カテゴリ:旅行( 7 )
桂離宮
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 桂離宮を観るのが長年の願いでした。それが今年、早々に参観希望のハガキを出し、願いかない、今回の京都旅行の柱にすることが出来ました。
 
 ぼくたち夫婦は台風一過の強い陽射しのなか、桂駅からゆるゆると歩き離宮へ向かいました。
 市街地に挟まれた桂離宮の囲いと桂川の眺望に、幸い迷うこともなく着きました。
 強暴だった台風18号の影響で、川景色は荒れています。しかし、泥をかぶってなぎ倒されたすすきの原は、真夏にもどった午後の陽を受け、土手の方からすでに若々しい草原の様子を見せ始め、十五夜の月の出を待っているようです。
 ぼくらは参観開始までずいぶん間があったので、月見団子を買う客で繁盛している菓子屋で、薄茶と評判の菓子をもらうことにしました。そこは桂橋の袂にあり桂離宮を目の前にする和菓子屋です。
 
 いよいよ開始5分前、受付をすませ待合室に入りました。20名ほどの参観者がすでに待機しています。ぼくは深呼吸をしてスタート待ちます。
 中年男性が登場しました。ガイドのようです。初めての展開です。いままで名苑とよばれるところで事前の解説はあっても、ガイドが同行する経験はありません。ぼくは少々うろたえました。
 
 そもそもぼくがお庭に興味を持ち始めたのは、高校の修学旅行で西芳寺を観てからです。季節は秋、色づいた木々と苔の青、ぼくは絢爛たる襖絵の中を歩いているような恍惚感とともに、あまりの美しさに衝撃を覚えました。
 その後学習の中で、天下の名苑は西芳寺とともに桂離宮が白眉と識りましたが観る機会を得ないままでした。
 つまりぼくは長い間、桂離宮を散策するのを夢想していたのです。もちろんその夢想は静寂の中です。
 
 ガイドの第一声です。「あっあー!」ぼくは耳をふさぎたくなりました。香具師のような大音声です。
 ぼくは思わず出口を目で追いました。そのまま帰ろうと思ったのです。
 そのとき、お庭の一部が目の端に映りました。
 「美しい!」
 ぼくは、しばし我慢をして観ることにしました。

 一時間半後、ぼくは噂にたがわずパーフェクトな美しさを観て興奮していました。

 岡本太郎がかつて桂離宮を観て、「池にサメでも放したら、面白かろう」と言ったのは、この庭園の尋常ならざる美しさに半ば嫉妬したと思われます。あるいは、どんな異形がじゃましようと、完全な美をもったものは、そのパワーを失うことがないことを彼は逆説的に言ったのかもしれません。

 とはいうものの、長年の願望であった桂離宮参観が、人喰いサメならぬノイズという異形との道行きとなり、なにやら矛盾する命題と戦いながら観ているようで、感動しつつもやはり相当残念でした。
by arihideharu | 2013-09-30 18:46 | 旅行 | Comments(0)
京都旅行2012part2
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 京都の寺町通りに錦絵を扱っている店があります。去年入ったときは、つい長居をしてしまい、外で待っていた妻をいたく立腹させてしまったので、今年は素通りしようと決めていました。ところが、店の前に来ると妻が、「見ていかないの」と言います。「なんて、ラッキーな!」、計画は勿論変更です。
 
 長居は無用です。入ってすぐに目に付いた明治中期の錦絵を手に取りました。三枚ほど見て、その内の一枚を買うことにしました。ぼくが物色した三枚はどれも月岡芳年の一派と分かる、錦絵が歴史から消える間際の黄金時代のものです。ぼくが買ったものには「年方」と銘があります。絵描きの力量、彫りと刷り、どれをとっても唸らせるものがあります。特にぼかしの技法が目を惹き、しかも安価です。ぼくは思わず買ってしまいました。予想外の展開です。

 ぼくは絵を売ることがあっても、買うのは生まれて初めてです。店に入って五分ほどの出来事でした。「年方」は確か、芳年の弟子で鏑木清方の師匠筋だったなと思いながら絵を小脇に抱え、禁を破ったせいでしょう、鼓動が高鳴っていました。
by arihideharu | 2012-10-24 01:14 | 旅行 | Comments(0)
京都旅行2012
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 今年の妻との京都旅行は去年と同じように台風の影響で雨にたたられ、これも日頃の自分の不行状からと諦めるしかなっかたのですが、ゆっくりとお寺巡りをしているうちに、雨も悪くないと途中から思い直しました。
 
 雨が庭などを美しく見せる装置であることは、半ば承知していました。それはコントラストの強い晴れの日より、雨によって色の幅を抑えた色合いは、見る者に視覚的に静かな快調をよぶからです。加えて、しとしと降る単調な連続音が周辺の雑音を消すのに効果があり、これが思いのほか大きく美しさに貢献していることが分かりました。というのも去年、雨の中で見た山形有朋の別邸「無鄰菴」のお庭にいたく関心したので、今度は晴れた「無鄰菴」をぜひ見たいと、旅行の最終日、雨が止んだのを幸いに開園を待って朝の苑内を散策したのですが、奥の院ともいうべき三段落としの滝に着いたとき、深山に似せた作庭の妙が、すぐ側を通る幹線道路の騒音で台無しになっているのに驚いたからです。雨は思った以上の防音壁になっていたのです。
 
 また、京都でふんだんに目にする竹林も雨と同様の効果があるのが分かりました。揺れる竹のリフレインが、目にも耳にも恍惚感を誘います。しかし、一寸でも竹林を抜けると、玉手箱を開けた浦島太郎のごとく瞬時に俗界に戻り、竹林の内はまるで竜宮城だったことに気づくのです。竹林の魔術です。

 どうやら、美しさを演出するには音でも視覚でも「繰り返し」が重要らしく、帰り間際に訪れた東福寺の雄大な伽藍は、借景の山と谷が何者かの作意なのか、あるいは庭師の執念なのか、ここもまたのびやかな紅葉のリフレインです。色づいたときは気が狂いそうになるほどさぞや美しいに違いないと思いながら、真夏に戻った空の下にある中世の景色は、この世に身を置く者には、狂気としか思えませんでした。と同時に寺という形で営々と伝えてきた人々の営みこそ、狂気の本質かもしれないとぼんやり考えました。

 ただ、東京に帰り翌日いつもの散歩をしていると、珍しく広い空き地に、いつのまにか見事なすすきの原が出現しているのを見つけ、その美しさに驚きました。勿論これも、すすきのリフレインが美しさの秘密です。しかし、それは人為ではなく、たんなる自然現象だと思いあたったとき、「繰り返し」が醸し出す美とは、案外この世の本質に結びついているのではないかと考えました。自然も我々の生活も流転をしているようで大きい流れでは、繰り返しているだけかもしれない。いわば、連続模様なのだと。

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by arihideharu | 2012-10-07 14:48 | 旅行 | Comments(0)
黄泉の国への入口
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 今度の京都旅行は延暦寺、南禅寺、広隆寺を訪れました。いづれも無双の寺、丁寧に観ようとしたら、身が持たなくなります。

 というのも最初に参拝した延暦寺でその法力のせいか、ぼくの記憶回路に微妙な変化がが生じた気がしたからです。

 古い記憶の中で特に重要なパーツを原体験と呼ぶなら、その中にここでの新しい記憶が組み込まれたようなのです。つまり新しい記憶が古い記憶として残ってしまった、そんな感じなのです。

 組み込まれたスポットは延暦寺の本堂と云うべき、根本中堂です。

 その根本中堂の板の間に座り、腰窓から階下を覗き込むように秘仏に手を合わせると、そこは伝教大師がともした灯りが1200年続く灯明と闇の世界。

「おー、これはこれは、この世の光景ではない」と分かります。

 例えるなら黄泉の国への入口、オルペウスが覗き観た世界がパックリ口を開けているようです。

 比叡山が小天体なら、根本中堂は冥界に続く地の割れ目。そしてこの小天体では、生身のまま如来にも悪鬼神にも会える仕掛があちこちにあるようなのです。

 お勤めをしていた若いお坊さんが、ここの仏さまは他の寺の仰ぎ観る仏さまと違い、拝む人の目線と仏さまの目線が合うように安置されているのが特徴だと解説されていました。

 ところがこれが、ぼくには仏が闇から生えてきているように見え、冥府の王と天の如来が一体であると、闇から光へのグラデーションが教えているようでした。

 おそらく人は死ぬとき、この光景にまた出会うに違いないとぼんやり考えながら、肉体が滅んだあと記憶の断片が無数の粒子となって、この闇の中へ吸い込まれる絵を浮かべていました。

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by arihideharu | 2011-10-04 23:48 | 旅行 | Comments(0)
京都旅行
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 ぼくは生まれも育ちも東北ですから、江戸の内までは想像力もおよびますが、箱根の先となるととんと分からなくなり、坂東武者は描けても、お公家はおろか公家侍も情けないことに及び腰になります。
 
 10年ほど前、木曽街道の奈良井宿を作家の東郷隆氏と訪れたおり、もと宿屋だったという町家を覗きました。

 ひと通り家の造り見て廻ると東郷さん「寺田屋と一緒だな」と言います。「あの京都の?」とぼくが問うと、「うん」と答え、この辺は文化的に意外と京都に近いんだと言うのです。

 ぼくは頭の中に京都から信州までの地図を思い浮かべようとしましたが、像が結ばないのに慌てました。その時、歴史とは半分地理だなと思いつつ、子供の頃から地理が最後まで頭に入らなかった自分の不勉強さを思い出しました。

 それ以来、白地図を色鉛筆で塗るようにして、箱根から先に往ってみたいなと思うようになりました。となると先ずは京都からだな…。

 これがここしばらく毎年京都に出かける理由で、又あわよくば公家侍はおおろか禁裏の様子も描けるようになりたいものと密かに願ったのも事実です。

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 先週、その恒例の京都旅行へ妻と出かけてきました。台風15号の進路を逆走するようなスタートで始まりましたから、やはりと言うべきでしょう、京都に着いた初日は大雨で計画はほぼつぶれました。二日目は台風一過といきたいところでしたが朝から小雨。しかしぼくらは思いきって予定通り、朝一番のバスで比叡山延暦寺に向かいました。
 
 幸い山に入るころ雲は流れ、晴れ間が広がっていきます。左手に木々の間から京都市中が掌を指すように見えてきます。それから、やがてバス内に歓声が上がり、右手に琵琶湖がパノラマとなって広がります。ぼくはその時、胸の内で小さくない達成感を覚えていました。この眼下に広がる琵琶湖の先に関東平野を見ていたのです。つまり、10年前結ばなかった像が結ばれた気がしたのです。

 高いところには登って見るものです。旅の要諦は高いところから…。初めて気が付きました。
by arihideharu | 2011-09-28 16:39 | 旅行 | Comments(0)
迷路の入口
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 法隆寺南大門に向かう松並木の参道を歩いていると、「あっ、ここだ」と思いました。

 人は眠っているとき沢山の夢を見ますが、目覚めてから語れるほどはっきりした夢を見ることは意外に少なく、大概は起きた瞬間忘れてしまいます。それでも強烈な印象を持つ夢は、覚えていることがあります。そんな夢の中で、なおかつ何度も繰り返してみる夢が、誰でもあるのではないでしょうか。ぼくにはそんな夢の一つに迷子になる夢があります。

「あっ、ここだ」と胸の中で叫んだのは、ふいに既視感に包まれたからです。こことは法隆寺参道脇にある観光バス用の駐車場です。既視感の正体は迷子になる夢の中で、ぼくはこの駐車場から正に迷子になるのです。いわばそこは迷路の入口だったのです。

 さて、迷子になる夢とはこうです。法隆寺宝物殿のガラスケースの中に多数並ぶ一尺にも満たない金剛仏を一つずつ丁寧に見ている自分がいます。どれも人間の姿を奇妙な形にデフォルメし、不思議な美しさをたたえています。そのうち段々と、どれも同じような姿に見えてきます。

「あー、ちょっと長く仏様を見過ぎたかな」

 周りを見、腕時計を見ます。そばにいる多くの修学旅行生は見知らぬ顔ばかりです。制服も少し違います。しかし、集合時間には間に合いそうです。急いで、集合場所の駐車場に向かいます。

 ぼくらを乗せるバスは、さっき降りた場所に変わらずに並んでいます。ぼくはクラスメートの待つバスの中へ飛び込みます。すると、ぼくに注意を向けた高校生たちは知らない顔ばかりです。バスを間違えたことを知り、別のバスに走り中を覗きます。そこも違う学校のバスです。確かにここにあったはずだと思いながら、なにげなくバスのサイドミラーに映った自分姿を見て驚きます。そこにいるのは少年の姿の自分ではなく、明らかに何十年も歳を取った中年の男が黒い詰め襟を着て立っているでわありませんか。
 
 「あっ、そうか。ガラスケースに収まった仏達を見ているうちに、ぼくは歳を取ってしまったのか」

 宝物殿に長くい過ぎたようです。そのとき、対処方法が浮かびます。

「そうだ。バスの先回りをして、次の目的地へ電車で向かおう」そう、時間を飛び越えるのです。

 駅を探します。幸いすぐに見つかります。駅舎に掲げる立体化された駅名は、所々壊れ読めません。

 そのとき、夥しい数の乗客達が出て来ます。電車が到着したようです。ぼくは改札へ向かい切符を買おうとします。ところが路線図も発券機も見あたりません。改札にいる駅員に尋ねます。

 すると、この駅は終着駅でこの駅から出る電車は一本もないとの返事です。ぼくはその答えに何故か納得します。

 ぼくは別の駅を探します。ところが歩けども歩けども見つかりません。迷子になったようです。そのうちぼくは、何処へ行こうとしているのさえ分からなくなります。

 そこで夢から覚めます。

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by arihideharu | 2010-09-24 02:20 | 旅行 | Comments(0)
法隆寺の乳金具
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 先週は休みをとり、京都奈良へ旅行をして来ました。一昨年の京旅行の折りは同行の妻は病後で体力に不安がありましたが、今回はひところの暑さも峠を越したのも手伝い、最後まで疲れを見せず元気に一緒に楽しむことが出来ました。
 
 京・奈良といえば神社仏閣を見るのが楽しみですが、今回からその門を潜るたびに、クスリと笑える楽しみが加わりました。それは前にブログに書いたことのある「乳金具」の観察です。普通、何気なく通ってしまうと只の黒い円ですが、間近でみるとオッパイの形になっているのが分かるというあの代物です。

 今回訪れた西芳寺・法隆寺・薬師寺は古寺ゆえに門金具も古く、その形状と色に様々な趣がありました。その中で特筆すべきは、法隆寺金堂扉の「乳金具」の絶景です。片側の扉に17個のオッパイが並びそれがが対になっています。さながら昆虫標本のようです。色も形も様々で圧巻です。

 その中で、ぼくの気に入った「乳金具」は上図の右上です。最もシンプルで、乙女の乳房のようです。少し異国の少女あるいは少年のおもかげがある飛鳥仏を納める法隆寺とこの「乳金具」は呼応しているようです。

 法隆寺の素晴らしいのは「乳金具」が朽ちて穴があいたものから、腐食して細部が消えたもの、黒光りして新しいものまで、様式の違いも合わせて同時に見られることです。

 穴があいた所からは乳頭の部分が古代釘の頭だということが、構造的に良く見えます。したがって、釘の形の違いによって「乳金具」の印象が随分違うことになります。

 こうして書くと何だか面倒ですが、ぼくと妻はただキャッキャと門を少し不謹慎に通っただけです。

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by arihideharu | 2010-09-20 17:53 | 旅行 | Comments(0)