ブログトップ | ログイン
わくわく挿絵帖
sashieari.exblog.jp
カテゴリ:絵( 14 )
作品展を終えて
b0185193_761650.jpg


19日で終了した作品展は、おかげさまで多くの様々な方がお越し下さいました。
ここに感謝を申し上げます。
世の中には絵を観たり小説を読むことを喜びにし、また支えに生きている方が、大勢いらっしゃることを学びました。
これからはおいでになった方々のお気持ちを大事にしながら、画業に励みたいと心を新たにいたしました。
ありがとうございました。

b0185193_723175.jpg

b0185193_7113621.jpg

by arihideharu | 2016-04-21 06:56 | | Comments(0)
二人展から
 
b0185193_8113795.jpg

 二人展がスタートいたしました。
 初日様々な方々がいらっしゃいました。
 ありがとうございます。
 心より御礼申し上げます。

 その中でも『うめ婆行状記』の反響が大きく、うめ婆に会えると思い会場にお越しになる遠方からのお客様もいらっしゃいました。
 その方は老齢の一人暮らしの女性で、新刊本に連載時の切り抜いた挿絵を貼り、撫でるように読んでいる様子がうかがえました。
 
 改めて宇江佐さんのご冥福を祈り、感謝をささげたいと思います。
by arihideharu | 2016-04-11 08:10 | | Comments(1)
安里英晴・城井文平 二人展のお知らせ
b0185193_11341813.jpg

b0185193_1124201.jpg

2016年4月9日(土)〜19日(火)11時〜19時 日曜休廊
オープニングパーティー 4月9日(土) 18時半〜
ターナーギャラリー

●口上 
 チャンバラと絵が好きで、挿絵画家になりました。
 一日一回の散歩以外は、仕事か寝るかお酒を飲んでいます。
 お酒は強くなく、すぐウトウトします。その眠りの中で絵を描いていることも多く、ときには醒めたときアイデアが浮びます。
 そんな生活をしているうちに、三人の子供に恵まれました。そのうち一人は、デザイナーになりました。その彼から「二人展」をしないかと連絡がありました。
 ぼくは怠け者で、個展すらやったことがありません。ところが、そのとき不思議に「いいよ」と即答しました。さてどうなることやら…。
by arihideharu | 2016-03-19 11:11 | | Comments(0)
ウォーホル展
b0185193_20511927.jpg


 現代美術の世界でアンディ・ウォーホルほど有名な作家はいません。
 商業美術は今なお彼の影響下といえますし、またポップアートは現代美術において、いつの間にか太い幹となり柱となっています。 
 その大回顧展が開かれているわけですから、観ないわけにはいきません。
 
 展示は初期から晩年までの膨大な作品群、すなわちドローイング・版画・写真(第三者が撮ったものも含む)・映像・ペインティング・彼自身の収集品などが展示されています。
 めずらしい初期作品もあり、出色の充実ぶりです。 あとは彼の遺体のダミーでもあればコレクションは完璧といえそうです。

 久しぶりに人混みに出たのも加わり、作品を見終わるとかなり疲れ、館内の休憩椅子にドッカリ座り込みました。
 
 ぼくはウォーホルが特に好きでも嫌いでもありません。ただ、ウォーホルに強烈に影響をうけた世代を、近くでずっと見ていた記憶があります。
 つまり、ぼくらに一番影響力をもった、おじさんやおばさんの世代の日本の美術家が、盛んにウォーホル風をコピーしていた時代が青春期と重なっていたからです。

 また「近くで見ていた」という意味では、ビートルズ体験と似ています。世界中が英国の田舎の若者たちに次第に熱狂し、それが加速していく歴史絵巻を少年期にぼくらは見ていました。すぐ上の世代が、そのお祭りの中に入り、ともに狂喜乱舞していたからです。
 それは隣町のお祭りをガラス越しに見るような、味気なさが伴っていました。しかし、特に残念ということもありませんでした。何故ならお祭りの興奮は参加した者だけが分かちあえる美酒ですし、酒の味を知らない子どもには無理だったのです。ただ、背伸びをすれば手に入れることが出来る近さにありました。 

 美術や音楽が流行という文脈で語られ、爆風のような異次元なパワーをもって、世間に登場する歴史的瞬間を末席ながら立ち会っていたことになります。

 ぼくはこの回顧展ではじめてウォーホルの作品をじっくり観ました。やがて、ぼくは不思議な感覚に包まれていることに気がつきました。彼の作品が表現媒体に関わらず、みな同じオブジェのように見えてきたからです。

 伝説のミダス王は触れたものをすべて黄金にかえたといいます。黄金の対語が芥なら、ウォーホルは触れたものをすべてを芥にかえる術を天から授かっていたようです。芥とは悪臭を放つ無価値なものといった、否定的意味ではありません。この世にあるすべてのものから意味を抜きとり、偏在する価値を均等にした姿です。

 おそらく地球を俯瞰する視点をもったとき、地球上のすべてのものはこのような作品群で表象されるのでしょう。
 美女も空缶も意味を抜きとったら、等価というメッセージです。
 ウォーホルのこのような視点をもった作家を、ぼくは他に知りません。
 彼は地球人でなかった可能性があります。

 作品に戻ります。
 ウォーホルの各作品には共通項があることに気がつきます。「静けさ」「未完成さ」「無作為性」です。
 その背後にあるものは、おそらく強烈なナルシズムであろうと、目ぼしをつけることが出来ます。
 ただ、ぼくのナルシズムに対する認識では、結果として現れるものは肥大化した自己です。
 例えば表象化されたものとして、ロマン主義や耽美主義などですが、その痕跡がみあたりません。巧妙に痕跡を消しています。
 多くのポートレート写真が残っていますが、どれも同じ顔で写っています。これも痕跡を消す方法のなのでしょう。
 しかもその一つひとつの佇まいが、中世に描かれたキリスト像に似ています。
 彼のナルシズムは自己の肥大化とは逆方向のようです、

 ともあれ、「ウォーホル展」を観てからしばらく経ちますが、彼の作品が今は禅画のような味わいで残っています。
by arihideharu | 2014-05-12 20:52 | | Comments(0)
ラファエル前派展
b0185193_4453850.jpg


 最初にラファエル前派の絵をみたのは美術手帳の誌面で、学生のころだと思います。相当衝撃をうけたのを覚えています。
 というのも、ぼくは少年のころから青木繁のファンで半ば崇拝していたので、ラファエル前派が青木作品の元ネタかもしれないとすぐに直感し、彼の独創でなかったことに動揺したからです。
 しかしその後、ラファエル前派を中心に扱う画集を本屋でみかけることもなく、ぼくの中でだんだん幻のような存在になっていきました。
 
 ただ、その当時人気の出始めたクリムトやミュシャがラファエル前派を継承した象徴主義の流れの中にあり、また帝政ロシアにおいてレーピンはじめ、写実派の画家たちが描く情感あふれる絵も、映画や芝居の一場面のようなドラマ性が共通し、それら一つひとつが、大きな歴史のうねりと絡み合い、国の違いはあれど同根だということを何となく感じていました。
 さらに近ごろは、最後の浮世絵師とよばれた月岡芳年が晩年、日本の神話や歴史を題材に連作したのも、地下で彼らとつながっていると思うようになりました。
 彼らに共通するのは、写真の時代に突入した19世紀末から20世紀初頭、職業画家の矜持でしょう、リアリティーとか絵画の役割について真摯に向き合う姿です。時代はモダンアートが炸裂する前夜でした。

 ところがそういった流れの先駆となったラファエル前派は、この展覧会からみて分かったことは実は作品において成功例は意外に多くなく、恋には忙しかったようですが、職業画家として勤勉さがやや欠如した様子がうかがえます。
 むしろ、この不完全さが魅力となり、勤勉で技量確かな象徴主義や民族派の画家たちの感性とやる気を刺激し、またその後の文学や映画などにインスピレーションを与え、広がりと完成度を高めていったような気がします。
 しかしなにより、共感の核心は青木繁と同じくラファエル前派には、神さまから祝福された青春の輝きがこの芸術家集団から放たれているからだと、この展覧会をみて思いました。
by arihideharu | 2014-03-27 04:46 | | Comments(0)
谷文晁
b0185193_15468.jpg


 谷文晁先生につきましては落語や小説に名人上手の代表として登場し、また江戸っ子の間でも小唄になるほど、人気・画料とも絶大だったことなどお噂は聞いてはいました。とはいうものの、はて江戸に君臨したこの師匠、どんな絵を描いたのか、ぼくは今まで失礼なことによく観たことがなく、こんどサントリー美術館でご開帳とのこと、妻と確かめに出かけてみることにしました。
  
 「いやー、まいりました」上手いって、こんな上手い絵描きは観たことがありません。
 大概の天才とか上手でも、かならず隙というか突っ込みどころがあるものですが、この師匠、まったくそれがありません。この絵を観たら、御大酒井抱一の絵も素人と思えるほどの上手さです。
 同じ御用絵師ベラスケスに例えるのもトンチンカンですし、さてさて起立して江戸文化に最敬礼するしかありません。
 
 百花繚乱の化政期江戸絵画の中心に谷文晁のような絶対的技量をもち、どんな絵も描けて、しかものびやかで癖がない、大人(たいじん)の風をもった師匠がいたのは大発見、嬉しいというしかありません。弟子の末席に加わるならこんな師匠のところがイイと思った次第です。
by arihideharu | 2013-08-18 01:05 | | Comments(0)
『ミュシャ展』
b0185193_2373679.jpg


 ミュシャがパリで相当売れっ子だったこと以外はどんな一生を送ったか、ほとんどぼくは知りません。興味がないからではなく、絵を鑑賞するとき作家の経歴などをプラスして鑑賞すると、途端にうっとうしくなるからで、それは多分ぼくが気の小さい同業者せいです。つまり、嫉妬と劣等感が加速するのが嫌なのです。

 その下手な同業者が観た感想は、「これほど勤勉な画家はそうざらにいない」です。多作に関わらず、筆の乱れや駄作がないのは驚くばかりです。しかも、チューブの最後の一滴まで絞り出すように、高齢まで精力的に絵を描き続けています。さらに、ミュシャは画家にはめずらしく絵で財をなします。これはもう脱帽するしかないのですが、こういう画家は今も昔も嫉妬と同時に嫌悪の対象になることがしばしばあります。

 20世紀に入り混沌と革命の時代、モダンアートは筆の乱れと意図された駄作を炸裂することに熱中し始めます。それは取りも直さずアール・ヌーヴォーの商業性と装飾性とは、対立していくこととなります。 
 しかし、アール・ヌーヴォー的耽美主義はいつの時代も多くのファンがいました。
 日本においては、美人画の竹久夢二や、今でも国際的に最も売れた画家の筆頭に数えられる藤田嗣治などです。彼らはファンに支えられ、世俗的名声を得た点でもミュシャと共通しますが、同業者から「あれは絵ではなく、イラストレーションだ」と妙な言いがかりやときには差別的扱いをされることがあったのも共通します。

 ただ、女性を美しく描くという欲求はおそろしく根源的で抑え難く、ルサンチマンを抱えながら、断続的に多くの場合サブカルチャーとむすびつき、強力な磁場を放ち、常にどかで華を咲かせているのも事実です。
by arihideharu | 2013-05-31 23:12 | | Comments(0)
駆け抜けて観た『フランシス・ベーコン展』
b0185193_162605.jpg


 フランシス・ベーコン展ほど短時間で観た展覧会はありません。ほぼ駆け足でぼくは観て廻りました。出来れば次の瞬きがくる前に観て廻りたかったほどです。
 勿論、フランシス・ベーコン展がつまらなかったわけではありません。むしろ、ぼくが描きたかった絵がほとんど総てがそこにあり驚いたほどです。

 大概の絵描きは、この世を再現することにエネルギーを注ぎます。
 ルネッサンス人は森羅万象を二次元に置き換えるために科学に着目し、印象派の画家は自分の身体をカメラにして外界を写しました。また、モダンアートの多くは現実の編集作業です。
 その結果、これらの絵を鑑賞したとき、我々は彼らが愛した世界と費やした時間を追体験することになります。
 
 しかし、ベーコンの絵はこれにあてはまりません。何故なら彼はこの世を描いていない可能性があるからです。
 おそらく、彼の手法は眼をつぶったときに見えたものを描いたか、あるいは瞬きをしたとき半眼で見た世界を描いたと思われます。それらは大体、瞬時に消えてしまう画像で、微妙にずれた次元のシンプルな日常です。
 
 ベーコンを観て、自分が描きたかった絵だとぼくが感じたのは、強い既視感が彼の絵にあるからで、実はこれがベーコン絵画の最大の特質と思われます。
 何故なら、ベーコンの画風というべき、手ぶれとピンぼけの写真のような画像は、われわれが価値がないと捨ててきた外界の断片で、価値を主張することもなく瞼の裏側に棲みつき、ときどき前触れもなく想念の回路に繋がれ、モノノケのように現れる、いわば意識の底に沈んだ残像で、誰もがストックしているものです。これが既視感の正体で、ぼくが描きたかった絵と思わせた理由と思われます。

 ぼくがベーコン展に入場した瞬間走り出したのは、凝視するより半眼で駆け抜けたほうが、彼が天啓を得た次元とシンクロさせる唯一の方法と直感したからです。
by arihideharu | 2013-05-10 16:30 | | Comments(0)
「芳年展」
b0185193_1858247.jpg


 月岡芳年の作品を年代を追って観ていくと、ぼくらの知っている芳年調がより顕著になるのは明治の新政が開始してから10年20年と経ってからです。皮肉なもので、江戸文化を代表する「錦絵」は既にない江戸の風物を芳年一派がノスタルジーを込めて描いたとき、絢爛たる最後の華が咲き誇ります。
 この美しさは、アニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」において、現代文明の中で滅びつつあるタヌキが「バケガク」の秘術を尽くし、滅んでしまった古里の山河や妖怪たちを蘇らせたときのような白昼夢を見るようです。思えばあれは、昭和日本のアニメーターの矜持でした。
 同じように明治20年前後、芳年たちはすでにない江戸を秘術を尽くし木版画などで蘇らせます。これは江戸町絵師の矜持と思われます。
 浮世絵はこの世の出来事を活写するのが最大のミッションのはずが、いつのまにか幻を描くことになります。
 
 絵描きは幻を描くとき、耽美的になります。芳年の場合それが特に顕著でした。彼は晩年、神代から始まる日本の歴史を絵にし、傑作を次々に生み出します。ぼくらがよく知っている装飾性と官能美が溢れるロマン主義の世界です。それはあたかもビクトリア王朝に登場した歴史物語に題材を求めたラファエロ前派の絵を思い出させます。芳年は浮世絵の世界を超え、より大掛かりな幻を描いていったのです。これは明治の新政が落ち着き、あるいは不満が渦巻いていたためか復古趣味の萌芽で、昭和の画学生なら誰もが好きな青木繁などの魁となったと思われます。

b0185193_1859649.jpg

by arihideharu | 2012-11-10 19:03 | | Comments(0)
「北斎展」から(一)
b0185193_1782070.jpg


 北斎先生もヘタな時期がありました。勝川春章という肉筆枕絵と役者絵のうまい師匠の門下にいた、修業時代です。大概、弟子というものは師匠とそっくりな絵を描くものですが、さすがと言うべきか北斎先生、春章門下でありながらあまり似ていません。それはこの時代、ヘタを意味します。

 と書き出したのは、三井記念美術館で開かれた大規模な「北斎展」を観たからです。圧倒的迫力のほかの絵と比べて、春朗と名乗っていた修行時代が余りに精彩を欠いていたからです。

 勝川春章一門の画集を観ると、北斎の二つ下に春英というのがいます。入門は北斎より先です。勝川派の表看板は役者絵ですが、春英は師匠や兄弟子の春好よりうまい役者絵を残しています。勿論、当時の春朗より遙か先をいっています。春英は誰よりも師匠の画風を正確に身につけ、なおかつ錦絵という新しい媒体あるいは技法に、うまく適応しています。しかも北斎先生のような狷介な性格ではないようすが、絵からうかがえます。実におおらかな絵です。役者絵では春章門下の白眉といえそうです。それを裏づけるように、春英の役者絵を観たあと写楽を観ると、「写楽は春英のパクリだ」と叫びたくなるほど、写楽の絵は春英に似ています。

 北斎に戻ります。北斎は春英と違い、素直に学ぶことが苦手だったと思います。この時代、最大の不幸かもしれません。しかも、癖っぽいところがこのころからあり、終生残ります。ただ枕絵だけは、それがあまり感じられません。男も女も美しく描かれています。意外にロマンチストだったのかもしれません。いや待てよ、北斎は春章の門を叩いたのは、表看板のほうではなく、枕絵のほうを学ぶのが目的だったのかも……。そう考えると、壮年期の枕絵の充実ぶりが納得できます。残念ながら、この「北斎展」から抜け落ちている大事な要素です。ぼくは枕絵をあまり観ていないので分かりませんが、春朗時代にいいものが沢山あるということはないのでしょうか。
 
 この「北斎展」はホノルル美術館にある、小説家だったジェームス・A・ミッチェナーという方のコレクションだと紹介されていましたが、そのコレクションの中に密かに春朗時代の枕絵が沢山隠されていそうな気がしてきました。

b0185193_179353.jpg

by arihideharu | 2012-06-23 17:26 | | Comments(0)