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わくわく挿絵帖
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マキノ雅弘の明るさ
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古い時代劇のDVDを見ていると、黒澤明や溝口健二も良いがマキノ雅弘作品もやっぱり良いなと改めて思います。そう思ったのは、マキノ雅弘の出世作「浪人街」の1957年版を見たからです。半分は近衛十四郎の殺陣を見ようと借りたのですが、結局はマキノ雅弘映画を堪能する一本となりました。

 この映画の大筋は、時代は江戸初期。繁栄し始める江戸の街で、その流れから取り残された浪人たちが、もがき生きそして戦い死んでいくというお話です。こう書くと暗い話のようですが、全体を包むトーンはいたってのんびりと明るいのです。この明るさは脚本を書いた山上伊太郎と同様に太平洋戦争で戦死した中山貞雄作品にも共通したものです。もっと言えば、ほぼ同時代のパリを舞台にしたルネ・クレールの作品にも似ています。

 そして明るいだけではありません。どこかシャレています。それは彼等が育った大正から昭和初期の時代の雰囲気でしょうか。この時代を表す大正ロマンという言葉があります。実はぼくが最も好きな時代でもあります。

 この明るさは映画を見ようとする人々が、潜在的に映画に求める最大の要素かもしれません。そう考えるとマキノ雅弘は最高の映画人だったといえます。

 黒澤明や溝口健二が見せた完成されたリアリズムや美はありません。むしろ、オープンセットや衣装を見ていると興行の世界の胡散臭い匂いさえします。しかし、それを忘れさせる世界をマキノ雅弘は持っていました。

 彼の監督作品を見終わると、時代劇映画には時代考証もリアリズムもどうでもイイと思えてくるから不思議です。

 蛇足になりますが、マキノ雅弘を検索して分かったのですが、AKB48の振り付け師、牧野アンナという人はマキノ雅弘のお孫さんなのですね。思わず画像検索しマキノ雅弘のチンパンジーのような耳が遺伝してないか探しました。

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by arihideharu | 2010-08-30 04:27 | 映画・演劇 | Comments(0)
廻り方同心
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 捕物帖には若くって颯爽とした岡っ引きや同心が出てきます。これは捕物帖の決まり事で当代の人気役者が演じる慣いになっています。ですからぼくも菊之助や海老蔵を思い浮かべて描いています。それはそれとして、実際はどうだったかというのを調べるのもまた楽しみの一つです。

 先ずは、花形商売廻り方同心ですが、これは奉行所内の出世頭でおいそれとはなれないお役目といわれています。命令系統としては唯一与力の下に付かず、奉行から直接命令を受けるということになっています。この廻り方同心は定廻り、臨時廻り、隠密廻りの三廻りと呼ばれ3つに分かれます。その中で定廻り同心がさらなる花形ということになります。

 三田村鳶魚は定廻り同心になるまでは、12・3歳で奉行所へ見習いに出て、30年あるいは40年、雨の日も風の日も日照りの暑さの中も怠らず背中にひびをきらして勤め、その中で手柄を立てた優れた者だけがこの役に就けたといっています。すると、なったときは40から50歳ということになります。この定廻り同心は6名いました。そして、このお役目を勤め上げた者が臨時廻りになるといっています。(これも6名)ここまで辿り着くのは・・・。聞いただけで目眩がしそうです。また、この臨時廻りは同心達の相談役です。最後の隠密廻りは同心の長老格2名がなるといっています。奉行所の外においては定廻り同心が肩で風を切り、内においては隠密廻り同心が重きをなしたと書いています。おそらく隠密廻り同心は密偵を指図する役目で最も情報が集まる強面の役かと思われます。廻り方同心は実戦部隊ですから年功序列と能力主義が半々というところでしょうか。

 また、奉行所には与力も同心も本勤の3分の1近くの人数の見習いがいました。年齢は、これは想像ですが10代から30代まで、使い走りから即戦力まで幅広くいたのではないでしょうか。

 この見習いの間、切り絵図や武鑑・町鑑を頭の中に叩き込み、目出たく定廻り同心になったころは江戸の町を掌を指すように知り尽くしていたのではと想像しています。 


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by arihideharu | 2010-08-23 13:02 | 読書 | Comments(0)
アトムの子
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 数日前の夜のことです。ラジオを聞いていたら山下達郎の「アトムの子」が流れました。山下達郎の曲は昔からよく聞き、今でも車を運転するときのぼくのテーマソング的存在で、したがって「アトムの子」はかなりの頻度で聞いている曲です。

 ところがその夜流れた「アトムの子」は司会者の説明ではライブバージョンとのことでした。ぼくはその説明に一瞬(?)になりました。それは山下達郎の曲にライブバージョンがあることは知らなかったのと、多重録音の山下達郎とライブはあまり結びつかなかったからです。ぼくは少し興味を覚えました。

 例の軽快なリズムで曲は始まります。「どんなに・・・大人になっても・ぼくらは・・・アトムの子供さ・・・」と歌が流れます。その時、山下達郎の曲は何度も聞いているのに歌詞を意識して聞いたことが一度もなかったことに、ぼくは気がつきました。歌詞に意識を集中しました。

 詩は「鉄腕アトム」を賛美する簡単な言葉が続きます。そして、リズムと演奏で盛り上げます。突然、同じリズムのまま「空を超えて、ラララ星の彼方、行くぞアトム、ジェットの限り」と山下達郎は歌い始めます。

 虚を突かれました。不覚にも涙がこぼれました。曲の間、止まりませんでした。これは一体どうしたことでしょう?

 そう、ライブバージョンは「鉄腕アトム」の歌を仕掛けていたのです。この仕掛けによって、「アトムの子」は単なる音楽ではなくなったようです。

 何故なら涙の間、こぶしを突き上げ天に向かって飛行する可愛いアトムの姿が脳裏に浮かぶのですが、同時にその姿は少年時代のぼくであり、中年になったぼくの姿でもあります。この曲は聞くものにアトムと一体化する装置になっていたのです。

 そして曲が終ったとき、愛と平和のためにアトムは今も飛び続けているのに気が付くのです。

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by arihideharu | 2010-08-15 02:07 | 音楽 | Comments(0)
梟の城
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 時代小説を読み始めたのは、司馬遼太郎の「梟の城」が最初でした。ぼくは浪人中で、アパートの向かいの部屋に住んでいた、司法試験を目指していた背の高い男の勧めでした。勿論、夢中になって読みました。この小説は二度映画化され、一本は篠田正浩監督によるもので、これは公開時映画館で見ました。もう一本は工藤栄一監督で、氏の作品とは知らずに昔テレビで見ました。しかし、忍者映画にしてはスピード感に欠けた大友柳太朗扮する忍者の殺陣とストーリー展開が退屈になり、途中でやめた覚えがありす。最近DVDが出ているのを知り、早速取り寄せました。それには工藤栄一が監督しているのもありますがシナリオに池田一朗(隆慶一郎)の名があったのを見つけたからです。

 映画は昔の記憶ほど凡作といったものではなく、大友柳太朗も頑張って動いています。唸らせるシーンも沢山あります。しかし、この映画は低予算で作られたのでしょう、安土桃山時代特有な豪華さがありません。

 この当時東映はほかにも忍者映画を作っていましたが、町並みのオープンセットを「遠山の金さん」が出てきそうなヤツを使い廻しをする無神経さがあり、興ざめしました覚えがあります。さすがにこの映画にはそれがないのが救いです。

 ぼくが工藤栄一監督作品に出会ったのはやはり浪人中で、深夜映画で「十三人の刺客」と「大殺陣」を一緒に見たのが最初でした。その時の強烈な印象は今でも覚えています。調べてみると日本映画の金字塔「十三人の刺客」と「梟の城」は同じ1963年に作られています。「梟の城」が先です。おそらくこのあと何かが変わったのでしょう。「十三人の刺客」には片岡千恵蔵や嵐寛寿郎も出ています。豪華キャストです。セットも大掛かりで、お金が掛かっています。シナリオはあの池上金男(池宮彰一郎)です。

 大正12年生まれの同い年の隆慶一郎と池宮彰一郎がその後小説の世界に入り活躍したのはつい最近のことであり、ぼくには何だかおとぎ話のようです。

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by arihideharu | 2010-08-07 05:38 | 映画・演劇 | Comments(0)