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わくわく挿絵帖
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十三人の刺客
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 リメイク版「十三人の刺客」を見てから3週間が経ちます。その間この作品はかなりの傑作だという思いが段々と膨らんできました。

 旧作「十三人の刺客」は1963年の12月公開ですから、「忠臣蔵」のようにオールスターで描くお正月映画として作られたと思います。したがって大御所と呼ばれるベテラン俳優と中堅、そして売り出し中の若手の三者が持ち味を競い合うというのが、筋とは違う芝居の大きな流れです。その作戦は図に当たり、見終わってみると若手里見浩太朗の爽やかで美しい若侍ぶりと、ベテラン嵐寛寿郎のきりっとした佇まいの美しさ、そして中堅西村晃の怪演ぶり…。この三つが時間を経てもぼくには焼き付いています。この映画は芸の伝承と新しいスターを育てるという意味でも成功したと思われます。

 ということはこの筋立てで、最もおいしい役どころはかつて里見浩太朗が演じた島田新六郎の役ということになります。この映画は集団劇であるのと同時に若侍、島田新六郎の青春映画とも言えます。
 
 さて、リメイク版「十三人の刺客」です。ベテラン俳優は松方弘樹ひとりしかいません。かつて片岡千恵蔵と嵐寛寿郎の演じた部分を松方はひとりで背負います。クライマックスのチャンバラでは松方弘樹一世一代の最高の殺陣を見せたと思います。斬られ死んで行く躰の切れは圧巻でした。松方弘樹は間違いなく芸を伝承しました。(喝采)

 十三人のリーダー島田新左衛門は大御所の役どころですが、リメイク版では中堅の役となっています。ご存知、役所広司が演じています。1963年当時は中堅の役者といえば戦中派で西村晃や丹波哲郎のような兵隊帰りが沢山いて、得体の知れない不気味さを漂わせていました。彼等は総じて極限状態の演技が(人を殺す演技も含めて)傑出していました。そして、常に脇にいて戦前派の大物役者を食っていました。
 
 ぼくは役所広司の世代ですので、「一体何をぼくらの世代は作り伝承していくのか?」ということを映画を見ているあいだ考えていました。というのも、ぼくらの世代には時代劇における芸も戦中派のような存在感もないと思っているからです。さらに大きく危惧されることがあります。時代劇を伝承するには我々日本人の体型と生活様式が変わってしまったことです。165センチ前後の男子が刀を振り回すから美しい殺陣や所作が生まれるのですが、180センチを超える男子がゾロゾロいては刀も殺陣の形も変えるしかない事態です。この問題は近年の課題だったと思います。

 その答えをリメイク版「十三人の刺客」は実は冒頭で見せています。この映画は濃厚な切腹シーンから始まります。これを見たとき、ぼくはフイルムを裏焼きしたのかと思いました。というのも着物の襟は左前だし、それに脇差しを左手に持ち腹に突き立てていたからです。左前襟の切腹は始めて見ました。冒頭から(?)です。しかし、これは新しい時代劇を作る意思の表れと挑戦の表明であると思い直しました。流派によってはこのやり方もあったかもしれないと思ったからです。また物語の発端となる、暴君の前に現れる他家のうら若い妻女が能面のように眉を剃りお歯黒をつけ怪しい色気を放って登場します。このメイクを映画で見るのは久しぶりです。

 さらにアクションにおいても剣豪平山九十郎の殺陣は西村晃の縁日の居合い芸のような怪しさはなく、井原剛志の殺陣は古武術の型稽古のような重厚な趣がありました。そして、若侍島田新六郎を演じる山田孝之はカンフーアクションもどきではなく、見事な合気道のような柔を見せます。つまり新しい時代劇とは奇をてらった新しさを求めるのではなく、素直に温故知新をすることではないかと問うているのです。

 名作時代劇がこのところ次々にリメイクし必ずしも良い結果を得いてない中、このリメイク版「十三人の刺客」はオリジナルを超えた時代劇映画史上に残る傑作になったと思います。

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by arihideharu | 2010-10-31 01:20 | 映画・演劇 | Comments(0)
空中歩行
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 学生時代、新宿で夜間のアルバイトをいていたときのことです。今でも思い出すとあまりに不思議で、幻を見たのかと今は思っています。

 そのバイトは終わるのが11時半前後で、走り込んでやっと終電に間に合うとういうことがしばしばでした。終電は朝夕のラッシュとさほど変わらぬ混雑で、ぼくは座ることも叶わぬまま文庫本を片手にその当時住んでいた国立までの往復を繰り返していました。

 その日は祭日だったと思います。いやに新宿駅のホームがすいていて、遠くまで見渡せるほどでした。ぼくは南口から乗り込むので、中央線ホームの下り後尾側で待つのが常でした。終電に間に合ったのにホッとしたぼくは缶ビールを買って、煙草に火をつけました。

 ひとごごちついて周りを見る余裕が生まれました。柱を二つばかり隔てた最後尾のホームに、めずらしく羽織を着た和服姿のおじさんが目に入りました。だいぶおつむが薄くなり小太りで、後ろ手に信玄袋をぶら下げています。気がかりなことがあるのか、せわしく3メートル程の幅を往ったり来たりしています。

 それだけなら、すぐ忘れてしまったことでしょう。ところがそのおじさんの場合、往復の軌道が線路と平行ならまだしも直角に往き来をし、踵を返すポイントが白線の外側に徐々に移ってきているのが分かったのです。ぼくは残り少なくなった缶ビールを飲みながら観察を強めました。

 まもなく3回に1回はUターンのポイントがホームと線路の境界線すれすれまで来ました。

 「あぶない!」と小さく叫びました。片足がホームから出たのです。そして、もう一つの足も…。
 
 ところが、あろうことか空中でおじさんは踵を返してホームへ返って来たのです。おじさんは何ごともなかったように顔色ひとつ変わりません。

 そのとき、ホームに終電が入りました。ぼくは慌ただしく空の缶ビールをゴミ箱に入れ、電車に乗り込みました。ひさしぶりに座席に座りゆったりしたぼくは、今見た一瞬の出来事をどう捉えていいのか考えあぐねていました。

 この思い出話は半分はフィクションです。勿論、空中歩行の場面です。その頃読んだ小説がヒントになっています。ぼくは帰りの電車で読むものがなくなると、こんな空想をして遊んでいました。そして、その空想がさっぱりストーリー展開しないので、小説家には向いていないなと思い至るころ、目的地に着くという具合でした。

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by arihideharu | 2010-10-24 04:06 | 思い出 | Comments(0)
巨大船と巨大橋
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 前に猪牙舟(ちょきぶね)について書きました。猪牙舟以上に映画やテレビで登場することのないのが屋形船です。

 川開きを描いた錦絵などを見ると、両国橋とその大きさを競い合っているかのような巨大さです。船を種類分けするとすれば、屋形船とそれ以外の舟の二つに分けていいほどです。原寸大の両国橋と屋形船数隻の再現が出来たら。江戸の町の半分は出来たようなものと言えば大げさでしょうか。と言うのも川と橋が作る空間は物語を作るにしろ絵を描くにしろ、なくてはならない舞台とどうしても思えるからです。そしてそれは、江戸の町絵師達が愛した風景です。
 
 そう言えばかつて幕末ものの映画では、明治神宮の鳥居のような恐ろしく太い橋脚をいくつか組み、その間に白い霧をふんだんに流し画面の奥にはうっすら見える洛中洛外を描くといった美しいセット撮影が幾つもありました。霧の下は鴨川という見立てでしょう。映画が作り出した様式美と言って良いかもしれません。
 
 一方、江戸の物語では忠臣蔵のクライマックス、仇討ちが終わり赤穂義士が永代橋を渡るシーンです。永代橋は隅田川の最も河口の橋で200メートルあったとされています。片側には佃島の漁村と海が広がります。時代劇全盛時でもこれを再現するのは無理だったようです。 

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by arihideharu | 2010-10-13 03:55 | 映画・演劇 | Comments(0)