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わくわく挿絵帖
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フィンガーピストル
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 ふたたび、新宿で夜間のバイトをした帰りに出会った不思議な出来事について書こうと思います。

 その日新宿駅の中央線下りホームは、電車が出たばかりで終電間近にも関わらずまばらな客しかいませんでした。

 ぼくは列の先頭に立ち電車の到着を待っていました。何気なく左隣の列に目をやると、先頭の学生風の痩せた男が、腕を水平に突き出し親指と人差し指でLの字をつくり、ピストルを撃つ真似をしています。

「ずいぶん子供っぽいことをしているな」とぼくは思いながら、彼の人差し指の先を見ました。すると線路を隔てた向かいの壁に、ウイスキーの宣伝なのか棚に酒瓶を並べたポスターが貼ってあります。

「なるほど、これはお誂え向きだ」

 そうです、子供のころ縁日でやった射的をやっている気分にその男はなったのだと分かりました。彼の頭の中では指先からはコルクの弾が猛烈な勢いで飛び出しているに違いありません。ぼくは思わず苦笑いをしました。

 ところが何度か彼に視線を向けているうち、ちょっと違和感を覚えました。というのは彼があまりにも真剣に的を撃つ動作を何度も繰り返しているからです。その姿は、弓道の型稽古のようにゆっくりと、しかも威厳さえ感じられます。「いやに真面目、いや真面目過ぎるな」そう思いました。

 電車が到着しました。ぼくは車両が停止するのを待ちながら、左手にまた視線を向けました。さすがに奴さん、ピストルを撃つ真似は止めたようです。こころがその時です。その男は急にぼくの方を向き、右腕を伸ばし銃口を向けてきました。

「あっ!」ぼくは反射的に躰を捻りながら傾斜させました。勿論、弾を避けるためです。その時、後ろで人が倒れる気配と呻き声のような音を聞きました。しかし、ぼくは後ろの様子を確かめることをせず、停止した車両に乗り込みました。ドアが閉まり、電車が発車します。

 これだけの出来事だったら、多分ぼくは多くの空想と同様忘れて思い出すこともなかったでしょう。

 ところが次の日、テレビをつけると大きなニュースが流れていました。

 「昨日、総理大臣が新宿での街頭演説中、急に身体に異変をきたし入院」というニュースです。どうやら国家の緊急事態という気配がうかがえます。

 やがてテレビ画像は、スタジオから入院先の病院前の生中継に移ります。記者が盛んにリポートを始めます。

 それを見ているうちに、その記者が痩せた学生風の風貌を持っていることに気がつきました。 

 ぼくはすでにテレビに釘付けになっていました。昨夜ぼくに指のピストルを向けた痩せた若い男とその記者が、瓜二つではありませんか?

 しばらくの間、ぼくはこの一連の出来事をどう頭の中で処理していいものやら考えあぐねました。

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by arihideharu | 2011-07-24 23:51 | 思い出 | Comments(0)
モダンでハイカラ
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 昭和初期、挿絵界のエース岩田専太郎は竹中英太郎が登場したとき、かなりドキリとしたということを何かに書いていました。

 岩田は江戸の町絵師の流れを汲みながら黒々とした線だけでアールヌーボーを思わせるモダンな挿絵スタイルを確立し、十代から脚光を浴びていた天才絵師です。それに対し竹中の絵は鉛筆やコンテをこすったようなボカしや、うす墨を多用し、ともすれば汚くも、また稚拙にも見える絵でした。江戸川乱歩・夢野久作などの挿絵を多数手掛けた奇才です。

 明治以降、挿絵は江戸の浮世絵師がそのまま木版技術を使ったところから始まり、やがて写真製版に移行します。写真製版は初期段階にありましたから微妙なトーンは出ません。

 そこで画家がとる最良の方法は黒一色だけで描くことです。小村雪岱はじめ多くの画家がこの方法をとりました。かれらは町絵師の子孫でしたから墨刷りの要領で難しいことではありませんでした。

 そしてその方法論はやがて大正・昭和になり、進化の枝は分かれペン画となって花開きます。高畠華宵・伊藤彦造・椛島勝一などです。

 話しを岩田専太郎と竹中英太郎に戻します。岩田は絵を描くにあたり、ポスターカラーをたっぷり筆につけ、可能な限り太い線を引き、ときには二度筆三度筆をして、メリハリある絵を描くことを心掛けたと書いています。勿論、これは未発達な印刷技術を頭に置いた、仕上がりを想定した描き方でした。

 ところが、そこへ自分の方法論を無視した竹中英太郎が現れます。これは十分にショックだったことは頷けます。しかも土俵は同じ文芸雑誌「新青年」です。

 「新青年」は探偵小説を中心に内外の作品を掲載し、その当時のモダニズムを象徴したハイカラの極みのような雑誌でした。

 そこで新しい小説の書き手は勿論のこと、新しい挿絵の描き手が求められました。時代は岩田専太郎を産み、やがて竹中英太郎が登場します。

 岩田の描く人物は、日本人離れした容姿を持っています。男は彫りの深い顔を持ち、姿はあくまで颯爽としています。そして、女は長い睫毛と見事なプロポーションを持っています。この画風がその当時の人々の憧れを掻き立てたのでしょう。

 一方、竹中は一見素人くさい、現代美術のような実験的画風です。

 岩田に言わせると、「竹中が登場したときは自分のときと違って印刷技術も大分進歩し、グレーがかなりキレイに出る状況になっていた。そのことが、挿絵画家・竹中英太郎を産んだ」と言っています。つまり、ひと昔前なら通用しなかったと言いたかったのでしょう。

 両者とも人気を得ました。しかし、竹中は岩田と違いは8年程で筆を断ちます。

 それから80年以上経ちます。ぼくは岩田専太郎が描く、長い睫毛を持った侍や、着物を着るにはグラマー過ぎるお女中を見ると、決まって大衆演劇の二枚目や女形を思い出します。白塗りの顔に付け睫毛…。今ではモダンでもなければハイカラにもほど遠く見えます。

 一方、竹中英太郎のほうは今でも、画学生が描いたような初々しさと、芸術至上主義的あやしい美しさがあります。古びていません。この違いは一体何でしょう?

 しかし、多分です。岩田専太郎が短命であったなら、今でもモダンでハイカラのまま輝いていたかも知れないと思うのです。
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by arihideharu | 2011-07-18 03:22 | 挿絵 | Comments(0)
ゴジラの脚
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 ぼくの子供時分のお盆映画というと「ゴジラ」でした。今から考えると、子供の夢を乗せるにしては随分と暴力的な映画で、人間の文明や秩序を破壊して廻るヒーローですから、かなりアナーキーで危険な映画だったことに気がつきます。
 
 見せ場は勿論破壊シーンです。円谷英二の特撮はスローモーションを多用し画面の一枚一枚が耽美的で、見るものに恍惚感を与えました。まるで、破壊する快感と滅び行くカタルシスを子供達に学習させているようでした。そして、それを支えていたのは限りを尽くしたリアリズムでした。

 ところが限界もありました。肝心要のゴジラが小さな子供が見てもすぐ分かるような着ぐるみ…。人が中に入っているのがバレバレで、特に後ろ脚が獣の脚ではなく、歌舞伎に登場する馬の脚と同様で間抜けな膝っ小僧が見えるようでした。

 これでこの映画は作りごとだと鼻っから分かる仕掛けです。なーに浅草奥山の見せ物と変わらぬと固唾をのみながらも、どこかで安心しながら見ていたような気がします。

 その後ハリウッド映画の特撮方ハリーハウゼンが、ゴジラの特撮を「子供だましだ」というようなことを言っているのを聞き、膝を叩きました。

 実はぼくはゴジラより、ほぼ同時期に見たギリシャ神話を題材にしたハリーハウゼン監督の「アルゴ探検隊の大冒険」の方が大っぴらには言いませんでしたが贔屓でした。コマ撮りの怪物の方が合理性があると感じていたからです。
 
 ただ、「どこかで安心しながら見る」というのは娯楽映画の王道だというのも明々白々な事実です。特に子供には必要でした。

 それから数十年経って、スピルバーグによって作られた「ジュラシックパーク」のなかで、原を駆ける恐竜の群れを見たときです。ぼくは嗚咽し涙が止まらなくなりました。何故なら、間抜けな脚を持ったゴジラではなく本物のゴジラがいたからです。人類が初めて恐竜を目撃した瞬間です。

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by arihideharu | 2011-07-08 00:37 | 映画・演劇 | Comments(0)