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わくわく挿絵帖
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モデルをおく
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 大正期を代表する画家竹久夢二は、独特なシンプルな線と色で新しい時代の美人画を作り上げました。彼の描くメランコリックな女性の顔やポーズはパターン化され同じように見えますが、意外に竹久はモデルを実際におかないと絵が描けなかったと云われています。多分、そこが竹久夢二の斬新さと魅力の源になっていたと思われます。

 近代に入り日本の絵画は作画方法に劇的変化が起こります。すなわち人物を描くにあたってはモデルをおき、風景を描くにあたってはスケッチブックを抱え戸外へ飛び出します。

 画家はいったんこれを始めると、髪の毛一本、葉っぱ一枚描くのも実際に見ないと気がすまなくなります。癖になるのです。

 この癖はあらぬ方へものびます。竹久夢二と共通のモデルを使い、責め絵という独特のジャンルを作り上げた伊藤晴雨は、敬愛する月岡芳年の描く無惨絵、逆さ吊りにした産み月間近の腰巻き半裸婦図(奥州安達が原ひとつ家の図)を己の妊娠中の妻に実演させます。そして先達芳年が空想で描いたのを突き止め悦に入ったという逸話を残します。

 このように明治以降急激に竹久や伊藤ならずとも若い画家は、上達のために若くて美しい女性のモデルを確保することに多くのエネルギーを割くことになります。

 ところが面白いことにこの近代以降の画家のイメージは、それ以前の画家のイメージに影響していきます。例えば、映画や小説などでよく見かける、浮世絵師が目の前に評判の町娘にポーズをとらせ筆を走らせるシーンです。勿論こんなことは厳密にはなかったと考えられます。何故なら、美人画の春信・清長・歌麿などをみると、まだまだ顔やポーズは伝承され記号化されたパーツを組み合わせて絵を成立させているからです。この当時は様式を踏襲する意味の方が現実に即して描くより、今考えるよりはるかに大きかった思われます。

 しかし一方では、一人ひとりの人間の個性の違いを絵の中に表現する画家が出てきたのもこの時代です。写楽や渡辺華山の登場です。ただ彼らの描く対象は残念ながら男でした。新しい時代の美人画は明治になって、実際にモデルをおいて描くようになってからでした。

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by arihideharu | 2012-01-15 22:19 | | Comments(0)
明けましておめでとうございます。
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明けましておめでとうございます。
本年がこころ穏やかな年になることをお祈り申し上げます。
by arihideharu | 2012-01-01 02:41 | 暮らし | Comments(0)