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わくわく挿絵帖
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京都旅行2012part2
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 京都の寺町通りに錦絵を扱っている店があります。去年入ったときは、つい長居をしてしまい、外で待っていた妻をいたく立腹させてしまったので、今年は素通りしようと決めていました。ところが、店の前に来ると妻が、「見ていかないの」と言います。「なんて、ラッキーな!」、計画は勿論変更です。
 
 長居は無用です。入ってすぐに目に付いた明治中期の錦絵を手に取りました。三枚ほど見て、その内の一枚を買うことにしました。ぼくが物色した三枚はどれも月岡芳年の一派と分かる、錦絵が歴史から消える間際の黄金時代のものです。ぼくが買ったものには「年方」と銘があります。絵描きの力量、彫りと刷り、どれをとっても唸らせるものがあります。特にぼかしの技法が目を惹き、しかも安価です。ぼくは思わず買ってしまいました。予想外の展開です。

 ぼくは絵を売ることがあっても、買うのは生まれて初めてです。店に入って五分ほどの出来事でした。「年方」は確か、芳年の弟子で鏑木清方の師匠筋だったなと思いながら絵を小脇に抱え、禁を破ったせいでしょう、鼓動が高鳴っていました。
by arihideharu | 2012-10-24 01:14 | 旅行 | Comments(0)
京都旅行2012
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 今年の妻との京都旅行は去年と同じように台風の影響で雨にたたられ、これも日頃の自分の不行状からと諦めるしかなっかたのですが、ゆっくりとお寺巡りをしているうちに、雨も悪くないと途中から思い直しました。
 
 雨が庭などを美しく見せる装置であることは、半ば承知していました。それはコントラストの強い晴れの日より、雨によって色の幅を抑えた色合いは、見る者に視覚的に静かな快調をよぶからです。加えて、しとしと降る単調な連続音が周辺の雑音を消すのに効果があり、これが思いのほか大きく美しさに貢献していることが分かりました。というのも去年、雨の中で見た山形有朋の別邸「無鄰菴」のお庭にいたく関心したので、今度は晴れた「無鄰菴」をぜひ見たいと、旅行の最終日、雨が止んだのを幸いに開園を待って朝の苑内を散策したのですが、奥の院ともいうべき三段落としの滝に着いたとき、深山に似せた作庭の妙が、すぐ側を通る幹線道路の騒音で台無しになっているのに驚いたからです。雨は思った以上の防音壁になっていたのです。
 
 また、京都でふんだんに目にする竹林も雨と同様の効果があるのが分かりました。揺れる竹のリフレインが、目にも耳にも恍惚感を誘います。しかし、一寸でも竹林を抜けると、玉手箱を開けた浦島太郎のごとく瞬時に俗界に戻り、竹林の内はまるで竜宮城だったことに気づくのです。竹林の魔術です。

 どうやら、美しさを演出するには音でも視覚でも「繰り返し」が重要らしく、帰り間際に訪れた東福寺の雄大な伽藍は、借景の山と谷が何者かの作意なのか、あるいは庭師の執念なのか、ここもまたのびやかな紅葉のリフレインです。色づいたときは気が狂いそうになるほどさぞや美しいに違いないと思いながら、真夏に戻った空の下にある中世の景色は、この世に身を置く者には、狂気としか思えませんでした。と同時に寺という形で営々と伝えてきた人々の営みこそ、狂気の本質かもしれないとぼんやり考えました。

 ただ、東京に帰り翌日いつもの散歩をしていると、珍しく広い空き地に、いつのまにか見事なすすきの原が出現しているのを見つけ、その美しさに驚きました。勿論これも、すすきのリフレインが美しさの秘密です。しかし、それは人為ではなく、たんなる自然現象だと思いあたったとき、「繰り返し」が醸し出す美とは、案外この世の本質に結びついているのではないかと考えました。自然も我々の生活も流転をしているようで大きい流れでは、繰り返しているだけかもしれない。いわば、連続模様なのだと。

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by arihideharu | 2012-10-07 14:48 | 旅行 | Comments(0)