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わくわく挿絵帖
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岡っ引き
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 去年の夏ごろ居間の本を整理していたら、稲垣史生の「町奉行」という古いハードカバーの本が出てきました。ぼくの仕事は見た目だけを整える仕事なので手元に置く考証本は、出来るだけカサばらなくて内容が簡潔で図がついたものが優先されます。したがって、ハードカバーの本は敬遠される傾向にあり、古いとなるとなおさらで、なかば存在を忘れていました。
 さっそく昼食時パラパラしていると、こういう記述を見つけました。
 要約すると、天保13年12月、南町奉行鳥居甲斐守、北町奉行遠山左衛門尉連名で、ときの老中水野越中守へ差し出した書き付けに、「深川の非合法の売春を営む料理茶屋の男衆に給金をあたえ、密告業務をさせている」という資料紹介です。
 これがその後気になっていて、というのも密告業務をしていた料理茶屋の男衆とは、稲垣史生の解説によると岡っ引きのことらしいからです。

 辞書では、岡っ引きは町与力や同心に私的にやとわれた犯罪捜査や逮捕時の協力者とあります。
 解説本でも役人のポケットマネーだけで成立する治安の下部組織であると説明されます。
 また、彼らの素性の多くは裏社会に通じた訳ありの連中で、それぞれの生業を持ちながら、防犯カメラのように方々いて、江戸市民のトラブルの相談にのりつつ、監視および通報を日々の役目としていたと説明されています。
 このトラブルの相談とは半分タカリで、彼らの少なくない収入源です。まぁー、どこをとっても嫌われる要素ばかりの彼らです。

 この書き付けの意味するところは、享保の改革以来、弊害が多いと岡っ引きを毛嫌いし公式には認めていなかった幕府も江戸も末になると、給金を払っていた訳ですから有用性を公式に認めていたということでしょう。
 もちろん、同じような資料がほかに存在しないなら、悪名高い天保期だけの特殊性とも考えられます。
 
 ただ、ご維新になって東京の警察組織が、町奉行所の人材をそっくり頂戴し、与力同心はもちろん岡っ引きまでも多少なりとも組み込まれたのをみると、やはり幕末には岡っ引きが町奉行所で相応の処遇をされていたと考えていいと思わざるえません。
 また、末端の同心が警察に組み込まれ、かつての岡っ引きと階級が同等になり、おおいに面目を失ったいうエピソードをどこかで読んだ記憶もあります。
 実はここしばらくこのエピソード、はてどこに書いてあったものかと探しているのですが、見つからず、どこかでひょっこり見つかるのを期待しているところです。
by arihideharu | 2014-02-04 01:49 | 挿絵 | Comments(0)