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わくわく挿絵帖
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ラファエル前派展
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 最初にラファエル前派の絵をみたのは美術手帳の誌面で、学生のころだと思います。相当衝撃をうけたのを覚えています。
 というのも、ぼくは少年のころから青木繁のファンで半ば崇拝していたので、ラファエル前派が青木作品の元ネタかもしれないとすぐに直感し、彼の独創でなかったことに動揺したからです。
 しかしその後、ラファエル前派を中心に扱う画集を本屋でみかけることもなく、ぼくの中でだんだん幻のような存在になっていきました。
 
 ただ、その当時人気の出始めたクリムトやミュシャがラファエル前派を継承した象徴主義の流れの中にあり、また帝政ロシアにおいてレーピンはじめ、写実派の画家たちが描く情感あふれる絵も、映画や芝居の一場面のようなドラマ性が共通し、それら一つひとつが、大きな歴史のうねりと絡み合い、国の違いはあれど同根だということを何となく感じていました。
 さらに近ごろは、最後の浮世絵師とよばれた月岡芳年が晩年、日本の神話や歴史を題材に連作したのも、地下で彼らとつながっていると思うようになりました。
 彼らに共通するのは、写真の時代に突入した19世紀末から20世紀初頭、職業画家の矜持でしょう、リアリティーとか絵画の役割について真摯に向き合う姿です。時代はモダンアートが炸裂する前夜でした。

 ところがそういった流れの先駆となったラファエル前派は、この展覧会からみて分かったことは実は作品において成功例は意外に多くなく、恋には忙しかったようですが、職業画家として勤勉さがやや欠如した様子がうかがえます。
 むしろ、この不完全さが魅力となり、勤勉で技量確かな象徴主義や民族派の画家たちの感性とやる気を刺激し、またその後の文学や映画などにインスピレーションを与え、広がりと完成度を高めていったような気がします。
 しかしなにより、共感の核心は青木繁と同じくラファエル前派には、神さまから祝福された青春の輝きがこの芸術家集団から放たれているからだと、この展覧会をみて思いました。
by arihideharu | 2014-03-27 04:46 | | Comments(0)
100倍面白い山手樹一郎
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 戦後黄金期のチャンバラ映画のラインナップを見ると、ポスターを眺めているだけで元気になったりウキウキしたりと、華やかな雰囲気が伝わってきます。また映画自体も実際に明るく軽快な作品が多いのですが、その中でも秀作と思われるものの中に、山手樹一郎の小説をネタ本にしている作品が実に多いことに気がつきます。
 山手樹一郎というと『桃太郎侍』が代表するように、人品卑しからざる若侍が恋と冒険の旅をしながら、お家騒動にからむ天下の悪を退治し、なおかつ恋を成就させ終わるという型をもった作品群です。
 古い時代小説ファンが、司馬遼太郎や池波正太郎のブーム以前、大いに楽しんだ作家です。
 ぼく自身も、山田風太郎と山手樹一郎をバックに入れておけば安心という時代がありました。
 両氏とも長編の作家で、読み始めたら一気呵成。快感が身体を駆け抜け、幸福な時間が過ごせること請け合いでした。これは小説のありようとして最高位といえます。
 
 山手樹一郎の作品群のなかに『夢介千両みやげ』という、異色作があります。
 主人公がめずらしく武家でなく、お百姓です。したがってチャンバラの場面は少なく、それも丸腰ですから防戦一方です。ただ身体が大きいうえ頑丈に出来ているので、喧嘩を仕掛けた方が根負けしたり、また馬鹿力と柔(やわら)の心得があるので、防御が与える敵へのダメージが例えるなら大人と幼児の喧嘩、実は魔神の力を秘めています。
 
 話の大筋はこうです。けたはずれの大百姓の倅夢介は、やや愚鈍にみえる若者です。ある晴れた日、あり余る大金をもって人生修行のため江戸へ出ます。やがて月日はながれ、幾多の冒険と経験を経て、ついには三国一の花嫁をみやげに故郷へ帰るというものです。
 ただこの花嫁、ほかの山手樹一郎作品にみられない特徴があります。すこぶる美形でチャーミングなのは同様ですが、いつものお嬢さまでもお姫さまでもありません。どこの馬の骨とも分からぬ女道中師(街道筋を仕事場にする掻っ払い)です。映画なら、さしずめ木暮美智代の役どころです。いわば悪女との恋路です。
 ぼくはこれをアンパンマンとドキンちゃんの恋物語と読みました。というのも、百姓夢介はアンパンマンのように常にやさしく、困っている人に遭えば持ちもの総てを与る癖がある若者ですし、片やすれっからしの女道中師は美形ですがワガママなうえ、すぐカッとなって口ばかりか手も出る、いたって扱いにくい女という点がドキンちゃんそのものだからです。
 
 話しの展開はこうです。悪事を重ねてきた女道中師は今まで出会ったことのない、とびっきりのやさしさと強靭な肉体をもつ若者に出会い、驚愕しやがて焦がれます。この菩薩心をもつ若者は拒否することを知りませんから、彼女の恋ごころを流れる水のごとくやさしく受け入れます。
 ところがこの女道中師、独占欲が異常に強く嫉妬心と猜疑心の塊です。夢介がだれにでもやさしいのが気に入りません。特に相手がちょいとイイ女となると、鬼となり蛇となります。
 彼女は次第に己の中になる、異常な邪心を憎み始めます。これを捨てなければ夢介の花嫁になる資格はないと思いつめるのです。
 彼女は恋ゆえに修行を決意し、活火山のように溢れていた己の邪心を鎮める生き方を模索します。
 寓話のようなアンパンマンとドキンちゃんの恋物語が、まるで古代の神話にみえてきます。

 山手樹一郎の小説世界の長所は、読者を幸せな気分にさせてくれることです。多分それは主人公が菩薩の横顔を持つからだと『夢介千両みやげ』は教えてくれます。
by arihideharu | 2014-03-15 00:51 | 読書 | Comments(0)