ブログトップ | ログイン
わくわく挿絵帖
sashieari.exblog.jp
絵に描いたような八丁堀の旦那
絵に描いたような八丁堀の旦那_b0185193_23365764.jpg


 ぼくの仕事は時代小説の挿絵を描くことですから、見たことのない物や事をそれらしく描くという作業になります。そしてその大半は人物を描くことに費やされます。  

 人物を描くにあたって、最もやっかいなのが髷(まげ)です。理由は簡単で現代において本物を見ることがないに等しいからです。

 そこで参考になるのは映画や芝居ということになります。只、映画や芝居で見る髷はカツラですから、基本的に大げさにデフォルメされています。故に、そのまま写すとそれらしく見えません。その結果、参考にしつつもアレンジを加えながら描くということになります。

 小説の中で最も多く出て来る髷の名の一つに、町奉行所の役人と一目と分かる「小銀杏」とか「小銀杏細刷毛」といわれる髷の形があります。これは武家の髷と町人の髷を足して合わせたような、八丁堀風とよばれる独特のスタイルです。特徴は髱(たぼ)と呼ばれる後ろ髪を少し膨らませている反面、チョン髷が普通の侍スタイルより細く短くきりっと結ってあります。

 しかしながらこの髪型、活字ではよく見るのに映画やテレビで見ることは皆無と言われています。つまり「むっつり右門」も「中村主水」もどういう訳か八丁堀風の「小銀杏」にはなっていません。

 ところが近ごろ集中的に見ている初期市川雷蔵作品の中に、この八丁堀風「小銀杏」を結い、黄八丈の着物に黒の巻羽織…。絵に描いたような八丁堀の旦那が出てくる一本を発見しました。1963年製作、監督・森一生、脚本・小国秀雄による「昨日消えた男」です。

 ハードボイルドな題名からも推察されるようにミステリー仕立ての作品です。雷蔵演じる主人公八代将軍吉宗が探偵趣味が高じるあまり、大岡越前守に頼み込んで八丁堀の同心にしてもらい、難事件を解決をするという荒唐無稽の極みのような軽いのりの作品です。

 これがちょっと幸せな気分にさせてくれる秀作で、冒頭は江戸湾に浮かぶ二艘の弁財船のシーンから始まります。これがドキュメント感があって、これだけでぼくはうっとりしてしまいました。また江戸の町のオープンセットも本当に美しく、時代劇の絶頂期の美は正にここにありと思わせます。

 言うまでもなく名監督・森一生の師匠は時代劇の神様・伊藤大輔であり、小国秀雄は黒澤明に鍛えられた脚本家です。また大映の美術は溝口健二の洗礼を受けています。

そうした中で、市川雷蔵が演じる絵に描いたような八丁堀の旦那が登場します。幸福の極みです。

絵に描いたような八丁堀の旦那_b0185193_23374696.jpg

# by arihideharu | 2011-05-27 00:00 | 映画・演劇
ちょっと幸せな気分
ちょっと幸せな気分_b0185193_227127.jpg


 3.11以来、出口のない迷路に踏み込んだようで、何をしても気が晴れることがない日が続いています。今、世に起こっている問題は、どれもこれも確かな解決方法も唯一無二の解答もない難問ばかりのようです。

 こんな鬱々とした日々を乗り越えるにはちょっとしたお笑いを探すのも一興と、ツタヤでDVDのラインナップを眺めていました。すると「濡れ髪剣法」という初期の市川雷蔵作品が目に留りました。この映画のスチール写真はいろんな本に載っているので、喜劇仕立ての若様ものであることは古くから知っていました。当時、大川橋蔵や中村錦之介も演じていたジャンルで、若き剣戟スターの定番といっていい出し物です。

 その「濡れ髪剣法」がやっと送られてきました。仕事が一段落ついた深夜、例によってウイスキーを飲みながら見ました。期待どおり「ちょっとしたお笑い」の連続で、映画に求めるすべてのものがこの中にはありました。つまり「ちょっと幸せな気分」になったのです。

 そして当然のこととして、ぼくはこの雰囲気を絵の中に取入れようと思いました。これが震災以来鬱々とした気分を「やじろべえ」のようにもとに引き戻すひとつの解決方法のように思えたからです。

ちょっと幸せな気分_b0185193_2275167.jpg

# by arihideharu | 2011-05-06 22:33 | 挿絵
「ひとところ」
「ひとところ」_b0185193_15574483.jpg


 われわれ日本人は辛抱強いと言われています。この震災における他国人の感想です。また、その辛抱強さを「サムライ」と重ね合わせる人も多いようです。

 「サムライ」をあらわす言葉として「一所懸命」というのがあります。ひとところで必死に踏ん張り戦うさまをいうのでしょう。

 この国は自然災害が多く、その年が被災によって絶望の淵にあっても次の春に種を蒔き苗を植えれば収穫の秋がやってくる望みが、常に絶たれることがなかったからだと思われます。

 ところがこんどの原発事故は、無念にも放射能汚染によってその「ひとところ」が奪われようとしています。

 われわれの辛抱がいつまで続くか心配です。

「ひとところ」_b0185193_15594178.jpg

# by arihideharu | 2011-04-06 16:01 | 暮らし
日常化された悲劇
日常化された悲劇_b0185193_22465333.jpg


 震災以来、気が落ち着かず毎日していた散歩も2週間余り休んでしまいました。
数日前から再開しましたが、やはりもとの調子には戻りません。

 去年から赤旗日曜版で連載小説「蕣花咲く」作:梶よう子で挿絵を描かせてもらっています。この小説は変化朝顔(変わり咲きの朝顔)をめぐる見事な推理小説仕立てのお話ですが、時代の背景と筋立てに安政の大地震が大きく絡みます。

 時代小説には地震や火事がよく出てきます。何度も繰り返されてきた事実があるからですが、ところがどっこい江戸の街は惨状とは別に、直後から得体の知れない生き物のように街の再生が始まります。そして、悲劇は日常化していきます。

 この日常化された悲劇を小説や芝居、浮き世絵は追体験するように何度も取り上げます。それによって、見るものは慰撫されたのでしょう。また一方で、我々の文化は諧謔的表現で笑い飛ばすことも忘れませんでした。

 思えば我々の文化の中心には幾多の災害が真ん中にドンとあることが今さらながら感じる次第です…。

日常化された悲劇_b0185193_2247720.jpg

# by arihideharu | 2011-03-30 13:11 | 暮らし
神仏に祈る
神仏に祈る_b0185193_14152739.jpg


地震見舞い申し上げます。

世の中騒然となっております。

ただただ安寧を神仏に祈るだけです。

神仏に祈る_b0185193_1416521.jpg

# by arihideharu | 2011-03-15 14:18 | 暮らし