ブログトップ | ログイン
わくわく挿絵帖
sashieari.exblog.jp
映画「ウォール・ストリート」
映画「ウォール・ストリート」_b0185193_19141987.jpg


 映画「ウォール・ストリート」を妻と見終わって、ぼくは「面白かった?」と聞きました。妻は首を二度横に振りました。「どこが面白くなかった?」とさらに聞くと「マイケル・ダグラスが何をしたいのか分からない」と答えました。ぼくも「その通り」と思いました。しかし、妻と違いぼくはかなり面白いと思いました。

 映画「ソーシャル・ネットワーク」が天才的青年を通して描いた社会派ドラマなら「ウォール・ストリート」は天才的中年ギャンブラーを通して描く社会派ドラマで、両者は良く似た構図に見えます。しかし「ソーシャル・ネットワーク」は最後まで緊張の糸が切れずに終わりますが、「ウォール・ストリート」はチャーリー・シーンが登場するあたりから緊張の糸がゆるゆるで、思わず苦笑いです。

 ところが、ぼくはこのゆるゆる感が途中から奇妙な快感に思えてきました。主人公(マイケル・ダグラス)が株屋という名のギャンブラーですから、命がけの勝負をし、やられたらやり返す、それもイカサマを使って。これが主な筋立てです。

 この複雑不可解な現代社会を単純なカウボーイ映画のようにして片付けてしまう、この明るさと雑さが、この映画の最大のとりえです。見終わったあと、ぼくはかつて植木等やフランキー堺が出た映画の中にこんな快感を覚えたの映画があったことを思い出していました。それはエンドロールにながされる青空とレゲエ風の歌のせいかもしれませんが。

映画「ウォール・ストリート」_b0185193_1915144.jpg

# by arihideharu | 2011-02-28 19:35 | 映画・演劇
「これほど面白いアメリカ映画はいつ以来だろう?」
「これほど面白いアメリカ映画はいつ以来だろう?」_b0185193_0561853.jpg


 公開中の映画「アンストッパブル」と「ソーシャル・ネットワーク」を見ました。

 「アンストッパブル」は乗り物を使ったパニック映画で、最初から最後まで一気に楽しめる映画でした。とは言え、こういう映画は決められた型があるようで、スタート5分で結末や過程がうっすら見えてきます。したがって、先日のサッカーアジアカップ戦を見るようなドキドキ感にはほど遠く、練習試合を見ている感じで終わります。

 一方「ソーシャル・ネットワーク」はかなりのドキドキ感がある良質な青春映画です。しかも、主人公は天才という設定。古くは「モンパルナスの灯」あるいは「アマデウス」「グッド・ウィル・ハンティング」などの名作を連想させます。只それらより圧倒的に優れている点があります。それは主人公がいま実在し、物語もほぼ現在進行中の出来事を扱っていて、フィクションでありながら現実との境目が希薄という仕掛けです。

 映画の楽しさの一つには見ているうちに主人公と一体となり恋や冒険をし、時には映画の中で歌ったり踊ったりするところにあります。しかしこの映画は主人公が天才という異常人ですから、感情移入し共感を持ちつつもどこかに違和感があり一体とはなりかねます。どうもこの一体となれない主人公との距離の不安定さがこの映画の最大の魅力と思われます。多分、一体となれないもどかしさが、我々一人ひとりの現実と似ているせいかと思われます。誰もが自分に違和感を持ちながら生きていると考えるからです。そしてまた、この主人公のように暴言を吐いたり、嘘をついたり、人を裏切ったりそれら総てが日常そのものだからでしょう。

 見終わったあと、「これほど面白いアメリカ映画はいつ以来だろう?」とぼんやり考えていました。


「これほど面白いアメリカ映画はいつ以来だろう?」_b0185193_0431711.jpg

# by arihideharu | 2011-02-07 01:00 | 映画・演劇
重い扉
重い扉_b0185193_1405489.jpg


 挿絵画家になってだいぶ経ちます。勿論大いに気に入っていますが、只この仕事には思わぬ副作用(?)のようなものがあることが分かってきました。

 と言うのは、挿絵画家の仕事の半分は絵を描く以外に原稿を読むことに費やされます。もとより、ぼくは絵を描くのと小説を読むのが何より好きでこの道に入った訳ですから望むところです。

 しかし、10年程前からプライベートで小説を読むことがなくなりました。それまでは仕事に一息ついたときや正月前は、本屋通いをして大量に買い込んだ本を読みふけるのが何よりの楽しみでした。
 
 ところがこの頃は、本屋へ行っても他の人の装丁や装画が気になり楽しめません。また小説を読んでもその世界へ入り込めなくなったのです。重い扉が立ちふさがってしまったようです。ですから、最初の数ページで読むのを止めてしまった本が仕事場に墓石のように重なり積まれています。これはなんとかするしかないと考えてはいるのですが…。何かの罰かと思ったりもしています。

重い扉_b0185193_144525.jpg

# by arihideharu | 2011-01-25 01:55 | 挿絵
「最後の忠臣蔵」
「最後の忠臣蔵」_b0185193_21425244.jpg


 怖い話しと泣かせる話しは苦手なので映画「最後の忠臣蔵」は世評に高いようでしたが避けてきました。しかし正月映画を選ぶとしたら、やはりこれかなと思い直し妻と一緒に見に行きました。

 評判どおりクライマックスに近付くと、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえます。ぼくも妻も例外ではありません。期待どおりと言えます。

 昨年は池宮彰一郎絡みの時代劇作品が2本ありました。言うまでもなく「十三人の刺客」とこの「最後の忠臣蔵」です。どちらも主人公が最後に死ぬ話しです。

 池宮彰一郎の作品は侍の生き方がテーマですから、最後は戦って斬り死にするか自刃するしかありません。生き残る選択肢を捨てたところから物語が始まります。

 考えてみると、これはかなり異常なことで日常レベルではありえません。しかし、映画人であり小説家であった池宮彰一郎はこのことにこだわりました。多分、戦時中に多感な青春期を送ったことと大きな関係があると思われます。

 同じ戦中派の映画人鈴木清順は「大正生まれの理想は野垂れ死にすることだ」と歯切れいい江戸弁で言っていたことがありました。独特の死生観です。

 また、池宮彰一郎も座談の話しの流れで「名人上手と云われている職人さんでも生活ぶりは、貧乏なものです。半ば飢えている。物書きも似たようなもので、そういうものだと思っている」そんなことを言っていました。

 そして、あれだけ売れていた池波正太郎も住んでいた家も仕事部屋も余りに質素なので、掲載されたグラビアページを見て唖然とした記憶があります。

 いずれも大正末期に生まれ、兵隊として負け戦のなかを青春を送った者たちです。彼等の微妙で複雑な人生観はいつもぼくを惑わせます。それはいつでも死を隣に置いて己の生き方を問うていたからだと思われます。

「最後の忠臣蔵」_b0185193_21434358.jpg

# by arihideharu | 2011-01-10 21:52 | 映画・演劇
新年
新年_b0185193_2505898.jpg


 明けまして、おめでとうございます。
 本年もよろしくお願い致します。


 正月ぐらい着物を着ようと、30年以上前に仕立てたお納戸色のウールの着物を引っ張り出しました。着けてみると5センチ程、丈が短くなっています。これはぼくが身長が伸びたからではなく、その分お腹が出たせいと思われます。着流しではみっともないので、袴をはき羽織を着ました。思った通りあったかです。

 3時頃、年賀状を出しにマフラーを巻きフェルトの帽子をかぶり、自転車に乗って郵便局へ向かいました。きょうは快晴。何だか明治人か大正人になった気分でした。

新年_b0185193_2514696.jpg

# by arihideharu | 2011-01-02 03:24 | 暮らし