怖い話しと泣かせる話しは苦手なので映画「最後の忠臣蔵」は世評に高いようでしたが避けてきました。しかし正月映画を選ぶとしたら、やはりこれかなと思い直し妻と一緒に見に行きました。
評判どおりクライマックスに近付くと、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえます。ぼくも妻も例外ではありません。期待どおりと言えます。
昨年は池宮彰一郎絡みの時代劇作品が2本ありました。言うまでもなく「十三人の刺客」とこの「最後の忠臣蔵」です。どちらも主人公が最後に死ぬ話しです。
池宮彰一郎の作品は侍の生き方がテーマですから、最後は戦って斬り死にするか自刃するしかありません。生き残る選択肢を捨てたところから物語が始まります。
考えてみると、これはかなり異常なことで日常レベルではありえません。しかし、映画人であり小説家であった池宮彰一郎はこのことにこだわりました。多分、戦時中に多感な青春期を送ったことと大きな関係があると思われます。
同じ戦中派の映画人鈴木清順は「大正生まれの理想は野垂れ死にすることだ」と歯切れいい江戸弁で言っていたことがありました。独特の死生観です。
また、池宮彰一郎も座談の話しの流れで「名人上手と云われている職人さんでも生活ぶりは、貧乏なものです。半ば飢えている。物書きも似たようなもので、そういうものだと思っている」そんなことを言っていました。
そして、あれだけ売れていた池波正太郎も住んでいた家も仕事部屋も余りに質素なので、掲載されたグラビアページを見て唖然とした記憶があります。
いずれも大正末期に生まれ、兵隊として負け戦のなかを青春を送った者たちです。彼等の微妙で複雑な人生観はいつもぼくを惑わせます。それはいつでも死を隣に置いて己の生き方を問うていたからだと思われます。