ブログトップ | ログイン
わくわく挿絵帖
sashieari.exblog.jp
深夜のハードボイルド映画
b0185193_22400123.jpg

 例によって深夜ちょこちょこと映画を観ています。
 SFとハードボイルドの再生回数が多いのは相変わらずです。
 近ごろ観た中では、旧作ですがデンゼル・ワシントン主演の『イレイザー』とリーアム・ニーソン主演『トレイン・ミッション』が楽しめました。
 
 デンゼル・ワシントンには『青いドレスの女』というハードボイルド映画の理想的傑作があります。
 この作品はシリーズ化された原作もあり、きっと続編ができると待っていましたが、残念ながら実現されませんでした。
 『ペリカン文書』と『青いドレスの女』以外に印象に残った作品の記憶がぼくにはなかったので、やっと快作に巡り会った感じです。

 ハードボイルドの要諦は普段凡庸でありながら、ここというときに並外れた力を見せ事件を解決することにあります。 
 『青いドレスの女』の主人公はただの黒人の工場労働者ですし、『イレイザー』のそれはホームセンターの初老の店員です。また、『トレイン・ミッション』のリーアム・ニーソンはリストラされたばかりの元サラリーマンです。
 この三作はまさにハードボイルドの要諦をしっかり押さえているといえます。

 すっかりハードボイルドづいたぼくは、引き続き「キー・ラーゴ」を棚の奥からひっぱり出しました。
 さすがに名画といわれる作品です、一気に見せる力があります。
 この映画、ただたんにハンフリー・ボガートとローレン・バコールを格好良く見せるためのドラマと思っていました。ところが実際は、地位も金もない目標を失った退役軍人の話で、しかも舞台は戦死した部下の実家のある辺境の島です。
 その地は神の末裔と誇る先住民たちが、貝殻を売ってひっそり暮らす場所です。
 物語は多数のギャングをボガードが傷つきながらも一人で倒し、ハッピーエンドで終わります。
 そして余韻として、この元軍人は麗しい後家と結婚し、この地で先住民たちと共生しながら余生を送る可能性を匂わせます。
 つまりこの映画は、戦争で勲章をいくつももらった男が白人社会からドロップアウトする話なのです。

 アメリカは才能と野心と運さえあれば、誰でも神の祝福を受け神殿の住人になれます。
 ハードボイルドの主人公たちは才能はともかく、野心と運が欠けた者たちで、だいたいは落伍者と見られます。
 多くのハードボイルド小説は、この落伍者ぶりを克明に描きます。耽美的にあるいはベタに、悲劇的にあるいは喜劇的に・・・。

 ただ彼らの共通するところは、裏社会と表社会のフチに住み、かつ神殿の住人たちのエリアにも入れるパスポートを持っていることです。
 そして、主人公たちは時には馬鹿馬鹿しいほど、命を捨てることと法の外に飛び出すことに躊躇がありません。

# by arihideharu | 2019-02-26 22:38 | 映画・演劇 | Comments(0)
隠れたパワースポット?
b0185193_22170339.jpg
 ぼくの散歩道にささやかな氏神を祀る神社があります。思い返してみると参拝したことがありません。時は正月でもあるし、文字通り初詣の場所にすることにしました。
 年が明けて三日目の昼下りです。
 
 鳥居をくぐり手水を使い拝殿の前に立つと、ぼくの前に女性が二人並んでいます。後ろ姿から歳はどちらも30前後と思われます。
 手を合わせ拝み始めた先頭の女性は銘仙風の着物姿で、羽織やコートをつけずマフラーだけを首に巻いています。帯は貝の口、履物はクロックスの古びたサンダルです。
 10秒20秒と一心に拝み続けています。やがて30秒を超えます。
「・・・」
 それからさらに30秒ほど過ぎ、多分通しで2分は優に超えたころ、やっと終わり次の番にきます。
 この方は普通の冬のコート姿です。
 ぼくは驚きました。この女性も長いのです。前の方より倍と思えるほどの時間を一心に拝むのです。
 その間ぼくは、社殿の上のよく晴れた空をただただ見ていました。

 何とか耐えぼくの番です。先ずは一息つき、お賽銭をあげ鈴を鳴らし、二拝して柏手をいつもより高らかに打ちました。すると頭に浮かんだのは、家内安全と四海安寧の文字。3秒ほど手を合わせます。あとはいつもよりいくらか丁寧に一礼して、この町中に佇む社を出たのですが・・・。

 もしかしてあそこは「隠れたパワースポット?」謎です。


# by arihideharu | 2019-01-03 22:17 | 暮らし | Comments(0)
明けましておめでとうございます。
b0185193_22082882.jpg

明けましておめでとうございます。
佳き年でありますようお祈り申し上げます。

今年もぼくはチャンバラと江戸の町を描きます。

b0185193_22142892.jpg






# by arihideharu | 2018-12-31 22:14 | 暮らし | Comments(0)
『京都 大報恩寺快慶・定慶のみほとけ』展から
b0185193_21365336.jpg
 ぼくは仏像を観るのが好きです。
 事始めは高校の修学旅行で、法隆寺の飛鳥仏を多数観たのがきっかけでした。
 特に気にいった仏像は一尺ばかりの金銅仏で、素朴な信心のありようが簡素に具象化されたさまに、静かな感動を覚えました。
 その後名刹を訪ねるたびに古仏を観てきて、ぼんやり思っていることがあります。
 多分仏像には三種類あって、ひとつは有難味が深く、かつ優れた技量で造られた仏。有難味が深いが技量がもの足りない仏。今一つは技量が優れているが有難味がもの足りない仏の三つです。
 
 僕の好みも交えれば多分、日本の仏教美術において鎌倉期に造られた運慶・快慶が代表する慶派が残した仏像が頂点と思われます。
 これは上記の三種類のうち、有難味と技量の高さがきわだった仏たちです。
 
 美術だけでなく音楽や芸術全般で日本人の美意識の特徴として、「ヘタウマ」を最高位に置くことがあげられます。
 ところが慶派の仏像は紛れなく「ウマウマ」です。日本人の好みからいったら異端に属します。
 この一派が異端でありながら、日本を代表する仏教美術になりえたのは何故か。
 おそらく仏教における信仰の磁場がこの時代、日本史を通じて並外れて強く、恐ろしい才能や頭脳の持ち主たちが時空を超えて引き寄せられ,本来癖の強い者たちが自我を捨て一心に彫ったためだと『京都 大報恩寺快慶・定慶のみほとけ』展で圧倒する美しい仏たちを観て思いました。

# by arihideharu | 2018-12-03 21:40 | | Comments(0)
藤田嗣治について


b0185193_00264023.jpg
 先ごろ『藤田嗣治展』に行ってきました。
 見終わって帰りぎわ、「そういえば、実家のぼくの部屋の壁には藤田の『カフェ』をずっと貼ってあった」ことを思い出しました。

 藤田嗣治の絵とロイド眼鏡のモダンな風貌を知ったのは、多分中学生のころです。
 彼の美人画は美術全集を見る限り、竹下夢二とともに近代日本絵画の中で異才をはなっていました。そして子供でも、この二人は世俗に人気を集め、大層売れっ子であったに違いないと、さして解説を読まずとも独特の花のあり様で察しがつきました。

 高校生になり少しは解説を読んだり世間の評判を耳にすると、この二人、芸術的評価が低いことが分かってきます。
 近代絵画は文学と同様、悲劇性のある早世した天才画家に、注目が集まります。青木繁・村山槐多・佐伯裕三・松本俊介などなどです。
 彼等の共通点は、メランコリーでやや暗い画風です。
 ぼくも彼らにあこがれました。

 その点、上記の二人はメランコリーですが暗さはありません。
 彼等の共通する特徴は少しエロチックで、禁欲性がないことです。
 このことが、おそらく大きな違いを生み、割にあっさり大衆的人気を得た要因と僕は考えています。
 ただこれらはマイナス要素となり、玄人筋の嫉妬と不評をかったと想像できます。
 とりわけ竹下夢二は国内限定で、特に婦女子に人気でしたので嫉妬が加速したことでしょう。
 
 それに比べ藤田嗣治はパリではピカソのような花形画家でした。
 つまり国際的活躍をした日本で最初の絵描きといえます。おしみない賞賛がもっとあってしかるべきです。
 しかしながら、ぼくの持っていた画集の解説には、彼の絵はイラストレーションで芸術ではないというような評論が堂々と書かれていました。
 しかも、この論調は学校の教師たち、特に美術教師がよく用い、さらに彼が戦争画を描いたことから、戦争協力者というレッテルを貼る風潮も加わり、藤田嗣治を賛美することは学校でも世間でも封じられていた感がありました。

 当時ぼくの彼に対する態度は揺れていました。本当は好きなくせに、時と場合で嫌いな素振りをすることもありました。
 ただ、時折雑誌で見る戦争画だけは暗く不鮮明でしたが、不思議に納得するものがありました。
 何故なら、古来人物画を得意とする画家は優れた群像画を残し、その中には戦争画も多く含まれます。
 
 おそらく並外れたエネルギーと技量を持った画家だけが戦争画を描く資格を持ち得ます。彼にはその資格が十分ありました。
 したがって、先の戦争に巡り会った藤田嗣治が、戦争画を描いたのは当然の流れだなというのが、ぼくの感想でした。
 画家の側からいえば、その機会を得ることは天佑といえます。

 幕末の絵師・月岡芳年は徳川の世を終わらせた上野山の戦争を嬉々として描きました。
 それが後世、彼の出世作であり代表作と評されます。
 直参旗本の血を引く藤田が、美女を描き、戦を描き、ネコを描くことは歌川派の町絵師たちの名を出すまでもなく、いわば江戸っ子の習性であり美意識で、それを揶揄するものは、「とんだ浅葱裏(野暮天)だ」と藤田嗣治が腹で思っていたに違いないと、ぼくは今感じています。
 
b0185193_00304714.jpg

# by arihideharu | 2018-10-17 00:14 | | Comments(0)