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わくわく挿絵帖
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見習い同心2
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 そんな幕臣の少年たちのことをぼんやり考え散歩をしていたらiPodに岡本綺堂の小説「半七捕物帳」がいくつか入っているのを思い出しました。早速聞き始めた一編は『朝顔屋敷』です。
 話しはこうです。13歳になる850石の旗本の跡取り息子が年に1度の素読吟味当日、試験会場に向かう道でこつ然と姿を消します。これは神隠しにあったものか、ただならぬ事態と当家の用人が、奉行所の役人をとおし半七に捜査を依頼します。すると半七、たいして苦労する様子もなく見つけ出すのです。
 さて、神隠しのカラクリです。この惣領息子、力弥もかくやという美形でかつ頭脳明晰ですが、いたって文弱のたちです。これを日頃から心配していた母親が、我が子が軽輩の倅どもからリンチを受けそうだと聞きつけます。しかも決行は素読吟味の日と予告されています。思いあまったあげくこの母親、主に内緒で屋敷内の押入に息子を隠したのでした。
 手品のタネが分かればあっけない話しです。ただその後、これを手伝った家来はお手討ちにあい、母親は離縁されます。
  
 素読吟味とは寛政期以降、幕臣の子弟たちの検定試験で、これに受かると学力十分と公に認められ、晴れて元服をし、長子は出仕の準備が整い、次男以下は養子の口を待つことが出来るという、きわめて大事なものです。ただ当日、昌平坂には少年たちが数百と集まるため、頑是ない騒動がしばしばあったのでした。
 
 この話しの眼目は、浅知恵に走った愚かな母親にまつわる奇談ではなく、素読吟味から落ちこぼれた御家人の倅が、高禄のひ弱そうな倅を集団でイジメる悪習が幕末にあったことが窺えることです。
 素読試験は年1回で、受験は3度まで許されたようですが、受からないと一人前とみなされない訳ですから厳しいものです。
 おそらく、イジメに走る御家人の倅には、3度目の試験も望み薄な、とうの立った少年もいたことでしょう。それでなくとも、幕末の御家人は貧乏と風紀の悪さが世間に定着し八方ふさがりの身分、このエピソードもそのひとつというべきかもしれません。

 その点、町方同心は不浄役人といわれながらも、実入りのイイほうで、特に出世コースの廻り方同心となると、大名旗本大店からと定期的に扶持が入り、人がうらやむほど内福であったたよし。
 三田村鳶魚は著書の中で、廻り方同心になるまでに12、3歳で奉行所へ見習いに出て、30年あるいは40年、雨の日も風の日も日照りの暑さの中も怠らず背中にヒビをきらして勤め、その中で手柄を立てた優れた者だけがこの役に就けたといっています。
 おそらく『半七捕物帳 朝顔屋敷』のストーリーと考え合わせると、12、3歳で見習いに出る同心の倅は早くに素読吟味に合格し文武に秀でた俊英で、平均的見習いの初出仕は数年後と考えられます。そうなると、月代を剃ってもそれほどいたいげな感じはせず、ニキビ顔がすがすがしく感じられたかもしれません。
 三田村鳶魚がいいたかったのは、手柄をたてつつ辛抱強く勤め上げた、双六のあがりが廻り方同心という意味だけでなく、入ったときから優秀でないとなれないよということだったかもしれません。
 つまり、12歳で見習い同心になった少年は、失敗の許されないエリートだったと想像します。

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by arihideharu | 2013-03-10 01:48 | 読書
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