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わくわく挿絵帖
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駆け抜けて観た『フランシス・ベーコン展』
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 フランシス・ベーコン展ほど短時間で観た展覧会はありません。ほぼ駆け足でぼくは観て廻りました。出来れば次の瞬きがくる前に観て廻りたかったほどです。
 勿論、フランシス・ベーコン展がつまらなかったわけではありません。むしろ、ぼくが描きたかった絵がほとんど総てがそこにあり驚いたほどです。

 大概の絵描きは、この世を再現することにエネルギーを注ぎます。
 ルネッサンス人は森羅万象を二次元に置き換えるために科学に着目し、印象派の画家は自分の身体をカメラにして外界を写しました。また、モダンアートの多くは現実の編集作業です。
 その結果、これらの絵を鑑賞したとき、我々は彼らが愛した世界と費やした時間を追体験することになります。
 
 しかし、ベーコンの絵はこれにあてはまりません。何故なら彼はこの世を描いていない可能性があるからです。
 おそらく、彼の手法は眼をつぶったときに見えたものを描いたか、あるいは瞬きをしたとき半眼で見た世界を描いたと思われます。それらは大体、瞬時に消えてしまう画像で、微妙にずれた次元のシンプルな日常です。
 
 ベーコンを観て、自分が描きたかった絵だとぼくが感じたのは、強い既視感が彼の絵にあるからで、実はこれがベーコン絵画の最大の特質と思われます。
 何故なら、ベーコンの画風というべき、手ぶれとピンぼけの写真のような画像は、われわれが価値がないと捨ててきた外界の断片で、価値を主張することもなく瞼の裏側に棲みつき、ときどき前触れもなく想念の回路に繋がれ、モノノケのように現れる、いわば意識の底に沈んだ残像で、誰もがストックしているものです。これが既視感の正体で、ぼくが描きたかった絵と思わせた理由と思われます。

 ぼくがベーコン展に入場した瞬間走り出したのは、凝視するより半眼で駆け抜けたほうが、彼が天啓を得た次元とシンクロさせる唯一の方法と直感したからです。
by arihideharu | 2013-05-10 16:30 | | Comments(0)
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