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わくわく挿絵帖
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『ミュシャ展』
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 ミュシャがパリで相当売れっ子だったこと以外はどんな一生を送ったか、ほとんどぼくは知りません。興味がないからではなく、絵を鑑賞するとき作家の経歴などをプラスして鑑賞すると、途端にうっとうしくなるからで、それは多分ぼくが気の小さい同業者せいです。つまり、嫉妬と劣等感が加速するのが嫌なのです。

 その下手な同業者が観た感想は、「これほど勤勉な画家はそうざらにいない」です。多作に関わらず、筆の乱れや駄作がないのは驚くばかりです。しかも、チューブの最後の一滴まで絞り出すように、高齢まで精力的に絵を描き続けています。さらに、ミュシャは画家にはめずらしく絵で財をなします。これはもう脱帽するしかないのですが、こういう画家は今も昔も嫉妬と同時に嫌悪の対象になることがしばしばあります。

 20世紀に入り混沌と革命の時代、モダンアートは筆の乱れと意図された駄作を炸裂することに熱中し始めます。それは取りも直さずアール・ヌーヴォーの商業性と装飾性とは、対立していくこととなります。 
 しかし、アール・ヌーヴォー的耽美主義はいつの時代も多くのファンがいました。
 日本においては、美人画の竹久夢二や、今でも国際的に最も売れた画家の筆頭に数えられる藤田嗣治などです。彼らはファンに支えられ、世俗的名声を得た点でもミュシャと共通しますが、同業者から「あれは絵ではなく、イラストレーションだ」と妙な言いがかりやときには差別的扱いをされることがあったのも共通します。

 ただ、女性を美しく描くという欲求はおそろしく根源的で抑え難く、ルサンチマンを抱えながら、断続的に多くの場合サブカルチャーとむすびつき、強力な磁場を放ち、常にどかで華を咲かせているのも事実です。
by arihideharu | 2013-05-31 23:12 |
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