歌舞伎を観ていて、いつも感心することは「よくもまあ板の上で微動だにせず、長いこと正座が出来るものだ」です。
かつて学校の体罰で廊下で正座というのがありました。まだ今よりはるかに正座文化が残っていた時代です。それでもやはり板の間の正座は誰もが苦痛でした。
江戸期から昭和のある時期まで、日本の隅々まで行き渡った文化としての正座も、いまや特殊技能の感があります。
おそらくそのためでしょう。近ごろの時代劇では武家でも商家でも、男たちがやたらと胡座をかくシーンが目につきます。
中村錦之介という恐ろしく上手な映画スターがいました。
彼はただ座る立つだけで育ちや身分・性格まで表していました。
これは歌舞伎の所作の定型を、彼独特の仕方で昇華させた結果だと思われます。
また、生涯二枚目で通した長谷川一夫は座った姿に何とも言えない美しさがありました。それは正座のときだけでなく、胡座や横座りのときでも、自然で流れるような気品と色気がありました。
さてこの正座、板の間に素足のときが一番きついわけですが、ここに足袋一枚・薄縁一枚かませるだけで少し楽になり、畳敷きなら相当楽になります。さらに座布団でも敷いたものなら極楽ということになります。
江戸期のお城や役所は座敷だけでなく廊下の畳敷きも増え、出仕の侍たちはそれまで胡座ですんでいたものが、職務中は常に正座を余儀なくされます。
ですから、禄を離れ浪人になった者は、先ずは膝をくずす癖がついたと想像できます。
映画『椿三十郎』(1962年)で藩中の育ちの良さそうな若侍たちに、浪人の三十郎が侮蔑されるのは、まさにこの点でした。
また、『赤ひげ』(1965年)で新米医者が夕食の膳を前にして、いきなり胡座をかいたのは、反抗と抗議の表象化で、学生運動が続く時代でしたから、胡座は反体制のシンボルのように見えました。
正座は武家だけではなく接客業の商家も同様で、大店の奉公人だけではなく小店でも、丁稚小女のころより正座が身につき、むしろ膝をくずした方が疲れるようになったことが想像できます。
実際、ぼくの明治生まれの祖母は、いつでもどこでもぺたっと座り膝をくずすことはなく「くずすと余計疲れる」とよく言っていましたし、行儀がさしてよくなかった大正生まれの父も食事のときは正座が常でした。
したがって、ぼく的には近代化とは正座を捨てることではなかったかと思えるほどです。
ちなみに、ぼくは正座がめっぽう苦手です。