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わくわく挿絵帖
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不思議な着物
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 和服の起源は呉服の名から、古代中国から伝わったと漠然とぼくは思っていました。
 ところが歴史家の武田佐知子さんが、かなり前から異を唱えていることを、ぼくは近年識りました。

 武田さんは和服のルーツは貫頭衣だというのです。
 貫頭衣とは、シーツ状の布の真ん中に穴を開け、そこに頭を通して着用する、漫画やコントによく出る原始人が着ている、あの衣装です。
 卑弥呼の時代、一般日本人の風俗として魏志倭人伝に書かれていると教科書で習ったことを思い出しますが、そのときぼくらは古代日本はなんと遅れていたのだろうと思ったものです。

 ところが武田説によると日本の場合、織物の技術が着物に使う反物で分かるとおり、幅が古代から腰幅程度だったという事実を根拠に、日本の貫頭衣はポンチョ型ではなく別だというのです。

 作り方としては、2メートルほどに織り上げた幅30センチ程度の帯状の布を並列に置き、端から半分ほど縫い合わせます。すると、半間用の二つに裂けた暖簾のような形になります。
 縫い合わせた部分が背(着物でいう後見頃)になり、分かれた部分が前見頃となります。次に上部以外の脇を縫い合わせ、完成となります。
 これを羽織り、前を交差させ、縄や紐を胴や腰に結ぶと武田説の貫頭衣になるというわけです。

 この説明で思い浮かぶのは、映画『隠し砦の三悪人』で三船敏郎が、あるいは劇画『カムイ』でカムイが着ていた野良着の袖無しです。
 万葉集には布肩衣(ぬのかたぎぬ)と呼ぶ、庶民が着る衣装が登場するそうです。
 これがまさに貫頭衣と同型であり、後の呼称の袖無し(別名、手無し)そのものだと、武田さんは説明しています。

 ここまでの画像イメージを重ねると分かるように、日本流の貫頭衣に、袖としっかりした襟をつけたら構造が和服と一致します。

 サザエさんの漫画や小津映画で分かるとおり、少し前の日本人は自宅でくつろぐときや寝るときは、男女とも和服スタイルでした。 
 和服の特徴は男女同型ということと、裾が開いていることです。
 
 この裾が開いている状態というものは、少々淫靡です。何故なら男女が着衣のまま、交合うことが出来るからです。
 江戸期頂点を極めた枕絵の特徴であり魅力は正にこれで、裾をちょいと上げただけで情を交わしている場面が日常として描かれ、エロスが匂い立っていることです。
 
 また武田さんによると古墳時代以降、権力を持つもの、あるいはそれに仕える者は袴を着けるようになり、それが埴輪で立体化された神々のコスチュームであり、律令国家が形成されてからの貴族や役人・女官の象徴的ユニホームになったということです。
 勿論、侍もこの流れの中にあるわけで、着物を着、その上に袖無しを羽織り袴を着けたら、立派な裃姿の侍になります。

 不思議なのは、これら支配者側の者も私生活では袴をぬぎ着物を常用し、明治まで袴(ズボン)という文化が日本全体に広がらなかったことです。
 つまり、何故に着物がこれほどに愛され続けてきたかということです。

by arihideharu | 2018-05-29 17:12 | 読書 | Comments(0)
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