長編TVドラマ『ゲーム・オブ・スローン』の新しいシリーズが出るたびに、まとめて観るのが、深夜の楽しみになって大分経ちます。
この戦記ファンタジーを、世界中のファンが毎回口をあんぐりさせ観ていることでしょう。
しかし、これを語るには相当骨が折れそうです。
あまりにも長編で複雑な構成なので、一回や二回観ただけでは筋が飲み込めないからです。
ただ見終わって確かに感じることは、スケールの大きい歴史劇が早いテンポで進み、強度のストレスとその解放が絶え間なく起き、これがこのドラマの中毒性を生んでいるとういう感覚です。
舞台は架空の中世ヨーロッパ的世界で、末世といえる動乱期を、7つの王国の興亡を中心にして描かれます。
この基本構造は、王家の人々に次々に起きる想像を絶するドラマを、ローテーションで見せていくだけでストレスと解放が繰り返され、カタルシスを断続的に味わえるという仕掛けにつながっていきます。
ストレスを思いつくままに並べてみます。
家族の四散、美しき王女が奴隷に、醜く産まれた王子あるいはお姫さま、勝ち目のない戦、裏切りと騙し合いの日々。魔術に操られる賢王。宗教に操られる民衆。美剣士が不具になり、美しき女王が断罪され全裸で民衆の前に晒されます。
ストレスの解放をあげれば、嘘つきが正直に目覚め、臆病者が勇気を持ち始め、裏切り者が友となり、絶望の民は奇跡を目撃します。そして半身が麻痺した美少年、盲目となったお転婆娘、腕や男根を斬られた秀麗な騎士の前に、希望が見え始め、魔術の純情と宗教の不純が暴露されます。
我々には『七人の侍』『風の谷のナウシカ』という映画史に残る戦記物の傑作があります。
驚くべきはこのドラマは上記の二作をやすやすと越えていることです。
それは多分、大作映画と変わらぬ質を持ちながら、連続ドラマという史上希にみる形式を手に入れ、主要人物の心理のひだや、人類史のタブーを描写し得たことが大きな要因になったと思われます。
タブーとは不具や奇形、同性愛、異常性愛、近親相姦、人食、奴隷や人身売買、日常的殺戮と強姦、宦官の存在、魔術と宗教、死者の扱い方と災い、予言者や奇跡の生態、あるいは職能としての聖者です。
これら難題であり、かつ深刻になりそうな事象をエンターテーメントの中に閉じこめ、それら多くが現代では絶対悪にされそうなことを自然な流れの中で語り、人類の起源や宗教や思想・文化の成り立ちをゲームのようにあっさりシミュレーションしています。
部分的に見れば、戦士は両手で剣を持ち日本刀のように振るいます。さらにドラマの中心人物となるジョン・スノーが八相の構えで、無数の騎馬兵を迎え打つ感動的シーンは『七人の侍』へのオマージュです。
また『風の谷のナウシカ』を思わせる、幼さを残す王女が大空を滑空するシーンが象徴的に繰り返されます。
いわばこれらは、活劇のツボをしっかり押さえている証左なのですが、ジョン・スノーの大義は人類を救うことであり、志村喬が演じる島田勘兵衛のそれを越えています。
また愛らしさを残しながら、あらゆる恥辱や困難を乗り越え、龍にまたがり飛翔する王女の貫禄は、ナウシカの少女像を抜き去ったといえます。
ともすれば結論を急ぎすぎる現代人にとって、この終わりも答えもないドラマ形式は、芸術家の直感力を最大限覚醒させる実験場と化したようです。
ぼくの映画経験では、今村昌平が『神々の深き欲望』で孤島を実験場にし、近親婚などのタブーを描くことによって、霊力の可視化に成功し、人類や神々の起源をシミュレーションしていたことを思い出します。
『ゲーム・オブ・スローン』はこれから先、大きな道標になる作品だというのが、ここまでのぼくの感想です。