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わくわく挿絵帖
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クリント・イーストウッドの『運び屋』
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 クリント・イーストウッド主演・監督の新作『運び屋』を見てきました。

「ついにここまできたのか・・・」
 エンドロールを見ながらの感想です。

 これはもう映画を越えていて、実体なのか役柄なのか分からないクリント・イーストウッドの塑像を鑑賞する時間でした。
 例えばそれはアルベルト・ジャコメッティの枯れ枝のような人体立像を、ぼーっと眺めてすごす時間と似ています。

 ジャコメッティの功績は人体から余分なものをそぎ、魂の質量を立体として視覚化したことです。
          
 クリント・イーストウッドの肉体は加齢によって枯れ、魂がほぼむき出し状態になっています。

 ぼくらはそこに何を見るかと言えば、老いさらばえた肉体ではなく、むしろ削ぎ落とされた筋肉や蒸発した水分の中に含まれた時間あるいは記憶を見ることになります。

 『ローハイド』からマカロニ・ウエスタン。『ダーティーハリー』シリーズから『グラントリノ』『人生の特等席』『運び屋』まで老残を撮りながら「ついにここまできたのか・・・」です。
 おそらくこの領域に達した映画作家はクリント・イーストウッドが初めてではないでしょうか。

by arihideharu | 2019-04-05 15:11 | 映画・演劇 | Comments(0)
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