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わくわく挿絵帖
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上方と江戸
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 江戸期、上方と江戸では随分と風俗が違ったようです。
 例えば、市中を商品をかついで売り歩く振り売りを上方ではすべて「ぼてふり」といったようですが、江戸では魚屋だけの呼称でした。
 ちなみに「ぼて」は「はりぼて」の「ぼて」で竹細工に紙を貼ったあれです。商品を竹笊に紙を敷いて乗せたので、その容器を「ぼて」と呼んだようです。

 行商といえば、廻り髪結いが持つ道具箱を上方では台箱といい、江戸では鬢盥(びんだらい)といいました。

 道具箱つながりで、落語『三井の大黒』の中で、大工の道具箱を江戸ではおもちゃ箱と呼び、また大工のことは上方では番匠と呼ぶと語っています。

 男の代表的帯の結び方に貝の口というのがあります。これは上方と江戸では結び目が逆だったそうです。

 女性の風俗では、ハンドバック替わりの巾着袋は江戸末期になると上方では普通に使用されたようですが、江戸で見られるようになったのは明治以降でした。
 江戸で流行らなかった理由として、巾着袋をブラブラさせて歩くと侍の刀の鞘にひっかかり厄介だったからだそうです。ですから手荷物は風呂敷に包み、胸にしっかり抱えて歩くのが基本でした。
 何しろ、上方と江戸の大きな違いは武士の人口で、上方では全体の5パーセント前後と考えられますが、江戸では50パーセントほどあったそうですから、それは大変な違いでした。

# by arihideharu | 2018-09-13 21:11 | 挿絵 | Comments(0)
連続ドラマ『ゲーム・オブ・スローン』
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 長編TVドラマ『ゲーム・オブ・スローン』の新しいシリーズが出るたびに、まとめて観るのが、深夜の楽しみになって大分経ちます。

 この戦記ファンタジーを、世界中のファンが毎回口をあんぐりさせ観ていることでしょう。

 しかし、これを語るには相当骨が折れそうです。
 あまりにも長編で複雑な構成なので、一回や二回観ただけでは筋が飲み込めないからです。

 ただ見終わって確かに感じることは、スケールの大きい歴史劇が早いテンポで進み、強度のストレスとその解放が絶え間なく起き、これがこのドラマの中毒性を生んでいるとういう感覚です。
 
 舞台は架空の中世ヨーロッパ的世界で、末世といえる動乱期を、7つの王国の興亡を中心にして描かれます。
 この基本構造は、王家の人々に次々に起きる想像を絶するドラマを、ローテーションで見せていくだけでストレスと解放が繰り返され、カタルシスを断続的に味わえるという仕掛けにつながっていきます。
 
 ストレスを思いつくままに並べてみます。
 家族の四散、美しき王女が奴隷に、醜く産まれた王子あるいはお姫さま、勝ち目のない戦、裏切りと騙し合いの日々。魔術に操られる賢王。宗教に操られる民衆。美剣士が不具になり、美しき女王が断罪され全裸で民衆の前に晒されます。
 ストレスの解放をあげれば、嘘つきが正直に目覚め、臆病者が勇気を持ち始め、裏切り者が友となり、絶望の民は奇跡を目撃します。そして半身が麻痺した美少年、盲目となったお転婆娘、腕や男根を斬られた秀麗な騎士の前に、希望が見え始め、魔術の純情と宗教の不純が暴露されます。

 我々には『七人の侍』『風の谷のナウシカ』という映画史に残る戦記物の傑作があります。
 驚くべきはこのドラマは上記の二作をやすやすと越えていることです。
 それは多分、大作映画と変わらぬ質を持ちながら、連続ドラマという史上希にみる形式を手に入れ、主要人物の心理のひだや、人類史のタブーを描写し得たことが大きな要因になったと思われます。

 タブーとは不具や奇形、同性愛、異常性愛、近親相姦、人食、奴隷や人身売買、日常的殺戮と強姦、宦官の存在、魔術と宗教、死者の扱い方と災い、予言者や奇跡の生態、あるいは職能としての聖者です。
 これら難題であり、かつ深刻になりそうな事象をエンターテーメントの中に閉じこめ、それら多くが現代では絶対悪にされそうなことを自然な流れの中で語り、人類の起源や宗教や思想・文化の成り立ちをゲームのようにあっさりシミュレーションしています。

 部分的に見れば、戦士は両手で剣を持ち日本刀のように振るいます。さらにドラマの中心人物となるジョン・スノーが八相の構えで、無数の騎馬兵を迎え打つ感動的シーンは『七人の侍』へのオマージュです。
 また『風の谷のナウシカ』を思わせる、幼さを残す王女が大空を滑空するシーンが象徴的に繰り返されます。
 
 いわばこれらは、活劇のツボをしっかり押さえている証左なのですが、ジョン・スノーの大義は人類を救うことであり、志村喬が演じる島田勘兵衛のそれを越えています。
 また愛らしさを残しながら、あらゆる恥辱や困難を乗り越え、龍にまたがり飛翔する王女の貫禄は、ナウシカの少女像を抜き去ったといえます。

 ともすれば結論を急ぎすぎる現代人にとって、この終わりも答えもないドラマ形式は、芸術家の直感力を最大限覚醒させる実験場と化したようです。

 ぼくの映画経験では、今村昌平が『神々の深き欲望』で孤島を実験場にし、近親婚などのタブーを描くことによって、霊力の可視化に成功し、人類や神々の起源をシミュレーションしていたことを思い出します。

 『ゲーム・オブ・スローン』はこれから先、大きな道標になる作品だというのが、ここまでのぼくの感想です。
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# by arihideharu | 2018-07-30 15:20 | 映画・演劇 | Comments(0)
ある日の午後
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ぼくが昼食をとるチェーン店は、大概かすかな音でジャズが流れます。
 いずれも、聞こうとしないと耳に入らないほどのボリュームですが、聞こうと思えば確かに伝わるボリュームです。
 
 ある日のトンカツ屋ではビリー・ホリデーが流れ、ラーメン屋ではエリック・ドルフィーのソロが続き、定食屋はマイルス・デイビスが静かに響き渡ります。
 また、リタイヤした酔客が多い午後の居酒屋は、ドリス・デイの歌声が聞こえます。 
 例外もあります。ステーキ屋だけは大きめの音でデキシーランド・ジャズが流れます。

 先週、数駅足を延ばし人気の牛タン屋に入りました。カウンター席につくなり、いきなりチャーリー・パーカーのアドリブが鮮明に聞こえました。
 生ビールと定食の味が、数段良くなったのは勿論のことです。

# by arihideharu | 2018-06-08 20:35 | 暮らし | Comments(0)
不思議な着物
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 和服の起源は呉服の名から、古代中国から伝わったと漠然とぼくは思っていました。
 ところが歴史家の武田佐知子さんが、かなり前から異を唱えていることを、ぼくは近年識りました。

 武田さんは和服のルーツは貫頭衣だというのです。
 貫頭衣とは、シーツ状の布の真ん中に穴を開け、そこに頭を通して着用する、漫画やコントによく出る原始人が着ている、あの衣装です。
 卑弥呼の時代、一般日本人の風俗として魏志倭人伝に書かれていると教科書で習ったことを思い出しますが、そのときぼくらは古代日本はなんと遅れていたのだろうと思ったものです。

 ところが武田説によると日本の場合、織物の技術が着物に使う反物で分かるとおり、幅が古代から腰幅程度だったという事実を根拠に、日本の貫頭衣はポンチョ型ではなく別だというのです。

 作り方としては、2メートルほどに織り上げた幅30センチ程度の帯状の布を並列に置き、端から半分ほど縫い合わせます。すると、半間用の二つに裂けた暖簾のような形になります。
 縫い合わせた部分が背(着物でいう後見頃)になり、分かれた部分が前見頃となります。次に上部以外の脇を縫い合わせ、完成となります。
 これを羽織り、前を交差させ、縄や紐を胴や腰に結ぶと武田説の貫頭衣になるというわけです。

 この説明で思い浮かぶのは、映画『隠し砦の三悪人』で三船敏郎が、あるいは劇画『カムイ』でカムイが着ていた野良着の袖無しです。
 万葉集には布肩衣(ぬのかたぎぬ)と呼ぶ、庶民が着る衣装が登場するそうです。
 これがまさに貫頭衣と同型であり、後の呼称の袖無し(別名、手無し)そのものだと、武田さんは説明しています。

 ここまでの画像イメージを重ねると分かるように、日本流の貫頭衣に、袖としっかりした襟をつけたら構造が和服と一致します。

 サザエさんの漫画や小津映画で分かるとおり、少し前の日本人は自宅でくつろぐときや寝るときは、男女とも和服スタイルでした。 
 和服の特徴は男女同型ということと、裾が開いていることです。
 
 この裾が開いている状態というものは、少々淫靡です。何故なら男女が着衣のまま、交合うことが出来るからです。
 江戸期頂点を極めた枕絵の特徴であり魅力は正にこれで、裾をちょいと上げただけで情を交わしている場面が日常として描かれ、エロスが匂い立っていることです。
 
 また武田さんによると古墳時代以降、権力を持つもの、あるいはそれに仕える者は袴を着けるようになり、それが埴輪で立体化された神々のコスチュームであり、律令国家が形成されてからの貴族や役人・女官の象徴的ユニホームになったということです。
 勿論、侍もこの流れの中にあるわけで、着物を着、その上に袖無しを羽織り袴を着けたら、立派な裃姿の侍になります。

 不思議なのは、これら支配者側の者も私生活では袴をぬぎ着物を常用し、明治まで袴(ズボン)という文化が日本全体に広がらなかったことです。
 つまり、何故に着物がこれほどに愛され続けてきたかということです。

# by arihideharu | 2018-05-29 17:12 | 読書 | Comments(0)
江戸っ子日時計、朝ノ刻
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 江戸時代の平均引退年齢は、45才程度だったそうです。理由はこの時代、眼科と歯科がないに等しく、眼と歯の衰え方が早かったからというのです。
 
 考えてみると、近代以前はメガネがほぼありませんから、大概の仕事は出来なくなり、かつ抜歯のあとの義歯は未発達ですから、食事はかなり難儀となります。これが生活の最大阻害要因となることは、容易にうかがいしれます。
 したがって長寿で達者な者は、よほど眼と歯が傑出して良かったのでしょう。
 
 ただ、歯磨の習慣だけは急速に広まったようです。特に江戸では楊枝屋と歯磨屋の繁盛店が現れ、楊枝屋の看板娘は鈴木春信の錦絵となり、本郷あたりの歯磨屋は今に残る川柳となります。また、四代目市川団十郎を商標にした『団十郎歯磨』なる商品も現れます。
 これは大いに売れたようで、さらには『助六歯磨』菊五郎の『匂ひ薬歯磨』『沢鷹屋歯磨』なども出て、歌舞伎役者が歯磨のアイコンとなったことが想像出来ます。
 
 さらに歯磨きだけでなく、舌こきの習慣もはじまります。
 またヒット商品には砂が混じったものもあり、歯が無くなるほど磨きこみ、歯の汚い田舎者を小馬鹿にし「口を開けるな、臭い」などと言い、歯の白きを自慢する風も極まっていきます。

 歌川国貞に七代目団十郎が起きぬけに、房楊枝を使うところを描いた錦絵があります。題は『俳優日時計、辰ノ刻』。
 これはどう観ても歯磨屋の商業ポスターで、ミュシャやロートレックに先駆けています。


# by arihideharu | 2018-05-08 21:25 | 挿絵 | Comments(0)