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わくわく挿絵帖
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カテゴリ:絵( 19 )
藤田嗣治について


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 先ごろ『藤田嗣治展』に行ってきました。
 見終わって帰りぎわ、「そういえば、実家のぼくの部屋の壁には藤田の『カフェ』をずっと貼ってあった」ことを思い出しました。

 藤田嗣治の絵とロイド眼鏡のモダンな風貌を知ったのは、多分中学生のころです。
 彼の美人画は美術全集を見る限り、竹下夢二とともに近代日本絵画の中で異才をはなっていました。そして子供でも、この二人は世俗に人気を集め、大層売れっ子であったに違いないと、さして解説を読まずとも独特の花のあり様で察しがつきました。

 高校生になり少しは解説を読んだり世間の評判を耳にすると、この二人、芸術的評価が低いことが分かってきます。
 近代絵画は文学と同様、悲劇性のある早世した天才画家に、注目が集まります。青木繁・村山槐多・佐伯裕三・松本俊介などなどです。
 彼等の共通点は、メランコリーでやや暗い画風です。
 ぼくも彼らにあこがれました。

 その点、上記の二人はメランコリーですが暗さはありません。
 彼等の共通する特徴は少しエロチックで、禁欲性がないことです。
 このことが、おそらく大きな違いを生み、割にあっさり大衆的人気を得た要因と僕は考えています。
 ただこれらはマイナス要素となり、玄人筋の嫉妬と不評をかったと想像できます。
 とりわけ竹下夢二は国内限定で、特に婦女子に人気でしたので嫉妬が加速したことでしょう。
 
 それに比べ藤田嗣治はパリではピカソのような花形画家でした。
 つまり国際的活躍をした日本で最初の絵描きといえます。おしみない賞賛がもっとあってしかるべきです。
 しかしながら、ぼくの持っていた画集の解説には、彼の絵はイラストレーションで芸術ではないというような評論が堂々と書かれていました。
 しかも、この論調は学校の教師たち、特に美術教師がよく用い、さらに彼が戦争画を描いたことから、戦争協力者というレッテルを貼る風潮も加わり、藤田嗣治を賛美することは学校でも世間でも封じられていた感がありました。

 当時ぼくの彼に対する態度は揺れていました。本当は好きなくせに、時と場合で嫌いな素振りをすることもありました。
 ただ、時折雑誌で見る戦争画だけは暗く不鮮明でしたが、不思議に納得するものがありました。
 何故なら、古来人物画を得意とする画家は優れた群像画を残し、その中には戦争画も多く含まれます。
 
 おそらく並外れたエネルギーと技量を持った画家だけが戦争画を描く資格を持ち得ます。彼にはその資格が十分ありました。
 したがって、先の戦争に巡り会った藤田嗣治が、戦争画を描いたのは当然の流れだなというのが、ぼくの感想でした。
 画家の側からいえば、その機会を得ることは天佑といえます。

 幕末の絵師・月岡芳年は徳川の世を終わらせた上野山の戦争を嬉々として描きました。
 それが後世、彼の出世作であり代表作と評されます。
 直参旗本の血を引く藤田が、美女を描き、戦を描き、ネコを描くことは歌川派の町絵師たちの名を出すまでもなく、いわば江戸っ子の習性であり美意識で、それを揶揄するものは、「とんだ浅葱裏(野暮天)だ」と藤田嗣治が腹で思っていたに違いないと、ぼくは今感じています。
 
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by arihideharu | 2018-10-17 00:14 | | Comments(0)
呉春と芦雪


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 司馬遼太郎の作に江戸中期の画家、呉春(1752−1811)と芦雪(1754−1799)をあつかった作品があります。
 歴史小説家の書くものの中に、絵師や文人を題材にしたものに傑作が多いような気がします。
 司馬さんのこの二作品もまた傑作で、時々思いおこし筋をなぞることがあります。

 松村呉春は二人の師匠につきました。二人とも日本美術史おける巨人です。
 最初の師である与謝無村は周知のように世俗を超克した俳人で画家でした。俳句は芭蕉と比され、絵は粋人好みの文人画を代表する一人でした。
 従って無村は貧乏でした。
 無村が亡くなって後、時の京都画壇の雄、丸山応挙門下となります。といっても弟子の扱いではなく客分格といわれています。
 わけは無村の内弟子で、かつ名手として名が知られていたからです。
  
 応挙は西洋流の写生を伝統絵画に取り入れたパイオニアとして、日本美術史において何人もいない革新者の一人です。
 世俗においても江戸期を通じ、東の谷文晁と並び天下第一の画家として、描くそばから高く売れる状況にありました。

 二人の師の画風は懐具合だけでなく両極にありました。
 無村はヘタを極めようとした画家で、応挙はウマサを極めようとした画家です。
 
 呉春は二人の師を深く愛しました。 
 彼の画才は二人に劣るものではありませんでした。
 およそ芸事は9割方才能で、あとは巡り合わせと執念で優劣は決まります。
 この師弟、来世で立場が入れ替わっていてもおかしくありません。
 
 しかし司馬さんは無村が相当お好きらしく、小説では才人呉春を継子あつかいし、器用なだけの凡庸な画家として描いています。

 ぼくは古くから応挙が気になっていました。
 何故なら、日本絵画史のなかで高校生以前の教科書レベルの知識で、ぴんとくる絵といえば、ぼくの場合、近世では琳派と浮世絵で、あとは円山応挙と渡辺華山ぐらいでした。与謝無村や池大雅は良く分かりませんでした。
 
 やがて高校生になり円山四条派の画集を側に置くようになると、応挙門下の呉春と芦雪が気になり始めました。
 何故なら彼らのやろうとしていることがぼくには良く理解出来たからです。

 長沢芦雪は呉春より二つ下で、いわば二人は応挙門下で歴史に名を残した竜虎で、特に芦雪は技においては師を越えるほどでした。
 これを剣豪小説に例えるなら、芦雪は師と道場で仕合、3本に2本は勝つことが出来る技の鋭さと勝ちへの執念があります。
 門弟や関係者の中には師を越える日も近いと言う者も、いや越えていると言う者もいます。また顔をしかめ、あれは邪剣だと言う者もいます。
 聡明さとうぬぼれが同居する芦雪は、半ば師を越たような気でいますが、真剣ならば師に勝つことは叶わぬことを知っています。
 温厚そうに見える師の剣技の恐ろしさを、良く知っているからです。

 呉春はというと道場において、たまに師に勝つこともある程度ですが、実践なら時を得ると勝かもしれないと人に思わせるところがあります。
 時々妙手を使うことがあるからです。
 ただ呉春には勝負を避ける癖があります。がむしゃらに勝とうとする気迫がないのです。
 これは呉春の性質と無村流から学んだものと思われます。
 しかし、勝つときは息をの飲むようなきれいな技を使います。
 また、こういう才は道場に置いておくと大層重宝しました。いつの間にか応挙流も会得し、いかなる技も上手に使い、初心の者から上級者まで上手に教えることが出来るからです。

 江戸期の人にとって、西洋流の写実主義は鮮烈な印象を残しますが、同時に疲労感を覚えました。
 応挙より前に写実を始めた伊藤若沖の彩色画がそうです。
 また、その後江戸中心で起きた蘭画は、さらに奇っ怪な印象を残すだけで、人をなごますことのない絵でした。
 この刺激は俗人には毒に見えました。

 しかしながら、京都は奥深い古都です。常に新しいものと古いもの求めます。したがって願わくば、この二つの同居を目の肥えた顧客たちは画家にもとめました。
 これを応挙はいち早く見事に実現します。
 しかしながら応挙は京都のパトロン達は欲深いことを知っています。
 彼らは常に茫漠たるものを求めます。
 顧客の多くは寺だからです。
 
 応挙は古くから、若沖と同年の無村にはそれがあることを知っていました。応挙は無村の画風と質は真似が出来ないと常々思っていました。そして、無村の茫洋とした絵を観るのが好きでした。
 呉春を側に置こうと考えたのは、それ故と想像出来ます。
 加え呉春は芦雪と違い、師の寝首をかくこともなさそうです。

 数百年経て、芦雪の斬新さの評価はますます高まり、彼の天才を疑う者はいません。
 呉春はといえば、その後新しい流派をうち立て多くの門人を育て、その流れは明治以降の現代日本画の礎の一つになったと伝えられます。

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by arihideharu | 2018-04-19 21:45 | | Comments(0)
印象派と浮世絵

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 近代に入ると西洋では神様を描くより、日常を描くことが絵描きの主題になることが増えていきます。
 近代絵画の幕をきった印象派は、この世を光に置き換えてとらえようとしました。
 これは日常をさりげなく写す、よく考えられた方法でした。
 その時ものには輪郭はなくなり、同時に事象の意味も消え、色の連なりだけが絵描きにとっての実在となります。
 この出会いはセザンヌなどの実験をへて、画家たちに様々なインスピレーションを与え絵画史を大きく変えました。
 
 印象派のスタート時に戻ります。
 万物を光に置き換えるアイディアはすばらしかったのですが、実践となると事実上不可能でした。
 何故なら絵描きはカメラのように、瞬時に日常を二次元化が出来ないからです。
 これを実現するには、異常な再現力をもった者か、すぐれた忍耐力と構成力を持った者しか出来ないやり方でした。
 やがて一部の画家の奇跡的成功だけで、多くの画家は限界を感じます。
 しかし実際は、この方法論は敷居が低く、写生の基礎表現方法として、今でもひろく実践されて量産されています。
 それだけこのやり方は普遍性と共感力があるかわり、差別化が難しいのです。
 ここで生き残った者は、無意識に過剰に現実を脚色する力を持ったモネやルノワールのような、いつの時代でも汎用性のある憑依型の天才でした。

 我々は永遠に続く日常の中に生きています。しかしながら日常はとどまることを知りません。
 そこで、ドガやロートレックのような形好きなデッサン家は、光に加え線でこの世を活写する方法に喜びを見い出します。
 ここには『北斎漫画』の影響があったと言われています。
 北斎の偉大なデッサン力は簡単な線で、ものの本質を写しました。これは彼一人の手柄では勿論なく、長い伝統の中で型の踏襲と改良を繰り返した結果です。 しかしながら彼ほどあらゆるものを写した画家は多分なく、その表現は西洋人に世界の広さと多様さを瞬時に理解させる力がありました。
 また画家たちには、北斎の日常のさりげない一瞬の動きをとらえた絵に驚愕します。
 何故なら、彼らは永遠の美を描くのが画家の仕事だと思っていたからです。

 永遠の美とは、ギリシャ彫刻のような完璧さや理想を求める美で、やり方としては人物を描く場合はモデルを置きデッサンを繰り返し、風景や静物も同様の行程をへて、それらをテーマに合わせ構成し現実を理想に置き換えることでした。 
 したがって長い西洋絵画史の中に、動きのある絵はあっても、日常のたわいのない動きをありのままに描く文化はなかったのです。
 
 この浮世絵木版画との出会いは、西洋の絵描きには目から鱗で、絵描きのプライドを守りながら、日常を活写し、勃興する写真リアリズムに対抗するプロの画家が生き残る手段と映ります。
 そのとき画家たちは直ぐに、線表現は個性が発揮しやすいという偉大な利点があることを見つけます。
 彼らは驚きました。同じ存在物を写しても線表現は画家の違いが大きく出るのです。
 同時に彼らは、デフォルメする快感を見い出します。
  
 それは画家たちが、神が創造した形から解放された瞬間でした。

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by arihideharu | 2018-03-16 15:49 | | Comments(0)
国貞2
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 歌川国貞(1786-1865)を詳細にみていくと、仕事がおそろしく丹念なのに驚きます。一つひとつ細部まで、およそ不明瞭なところがありません。
 例えば眉毛ばかりか睫毛まで一本一本描いてみせ、また着物の柄の克明さは秀逸で、ファッション画としての資料価値も高そうです。さらに小物類や家具調度の正確な描写には頭が下がります。

 描き方としては、ありとあらゆるものを線でとらえ、その個体が何であるか納得確認しながら描いているのがよく分かります。
 つまり、このスタイルはどこを切りとっても、記号として読みとることが出来るようになっています。
 これは森羅万象、すべてを畏敬をもって同等にあつかうという、日本人がもつ宗教観と関係がありそうです。
 そして、このあたりに圧倒的に大衆に指示された理由もありそうです。

 しかしながら、この画風は成功するとすばらしい緊張感のある絢爛たる世界をうみますが、気を抜くと丁寧な仕上げに関わらず、まとまりに欠ける緩慢な印象になります。彼にはこの手の絵が多数あります。
 これはぼくが愚考するに、売れ過ぎた画家の宿命であり、全体の構成より注文主の要望や販促を優先した浮世絵がこの時代背負った使命のためと思われます。
 このことはむしろ、半ば広告やカタログのような絵もけっして厭わなかった国貞の真骨頂と今ではぼくは理解しています。
 やはりこれは、浮世絵師のあるべき姿の到達点と言わざるえません。

by arihideharu | 2018-02-14 18:33 | | Comments(0)
国貞
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 ここしばらく歌川国貞(1786-1865)ばかり眺めています。
 彼は若い時分から晩年まで売れ続け、浮世絵史上最大の作品量を誇った画家と言われています。
 特徴は迷いのない派手さと勢いにあります。この画風は堅牢な型となり江戸末期歌川派の中心として、多くの門人と影響を後世に残しました。

 ところが、ぼくはこの絵が大の苦手で、今まで素通りしてきました。というのは、どれも同じに見えたからです。
 例えば、北斎・写楽・広重などは作家性が強く、子供でも十分楽しめるほど時代を越えた力がありますが、この国貞の量産型画風は、ほとんどが風俗画だけに時代を経ると、ぴんとこない宿命がどうしてもあります。加えて、この派手過ぎる画風の中に、どこか堅気相手ではない臭いがします。
 そんなこともあり、ぼくは長い間、国貞の絵は苦手でした。

 ところがここへ来て、国貞に興味を持ち始めたのは、今までぴんとこない部分が自然にぴんと来るようになってきたからで、どうやら彼の生きていた時代の日常がぼくの中に少しづつ馴染んできたようなのです。

 絵の定義は色々ありそうですが、絵を記号と見ることは可能です。記号は言葉に置き換えられます。
 しかし絵画の中には、記号化や言葉化を拒否しているものがあります。例えば抽象画です。
 また逆に、記号として描かれた絵や図とした描かれた絵もあります。これは言葉の替わり、意味を伝えるための絵です。
 あるいは、記号をちりばめ思想や物語を伝えようとする絵もあります。
 しかしながら、近代絵画は記号の量をおさえ絶対美をもとめました。

 さて風俗画です。これは記号を散りばめていますが、さしたる意味や思想はありません。ただただ世俗のあり様を恰好よく描くことに主眼が置かれます。
 こういう種類の絵はその時代には喝采を浴びますが、時間が経過すると評価が下がり、時には消耗品扱いされ差別されることがよくあります。
 この歌川豊国は希代の風俗画家の巨匠ですが、さりとてその例外をまぬがれることは出来ません。
 何故なら、彼の一世風靡した役者絵や美人画の手柄は、記号数をおさえた東州斉写楽や喜多川歌麿に独占されているからです。

 しかしながら、この国貞を芸術至上主義をすて、散りばめられた記号の意味を腹におさめれば、とてつもなく豊穣なる地平が見えてきます。
 これは絵を読み込むという、ぼくが今まで使ってこなかった脳細胞を使うことになります。

by arihideharu | 2018-01-22 19:54 | | Comments(0)
作品展を終えて
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19日で終了した作品展は、おかげさまで多くの様々な方がお越し下さいました。
ここに感謝を申し上げます。
世の中には絵を観たり小説を読むことを喜びにし、また支えに生きている方が、大勢いらっしゃることを学びました。
これからはおいでになった方々のお気持ちを大事にしながら、画業に励みたいと心を新たにいたしました。
ありがとうございました。

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by arihideharu | 2016-04-21 06:56 | | Comments(0)
二人展から
 
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 二人展がスタートいたしました。
 初日様々な方々がいらっしゃいました。
 ありがとうございます。
 心より御礼申し上げます。

 その中でも『うめ婆行状記』の反響が大きく、うめ婆に会えると思い会場にお越しになる遠方からのお客様もいらっしゃいました。
 その方は老齢の一人暮らしの女性で、新刊本に連載時の切り抜いた挿絵を貼り、撫でるように読んでいる様子がうかがえました。
 
 改めて宇江佐さんのご冥福を祈り、感謝をささげたいと思います。
by arihideharu | 2016-04-11 08:10 | | Comments(2)
安里英晴・城井文平 二人展のお知らせ
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2016年4月9日(土)〜19日(火)11時〜19時 日曜休廊
オープニングパーティー 4月9日(土) 18時半〜
ターナーギャラリー

●口上 
 チャンバラと絵が好きで、挿絵画家になりました。
 一日一回の散歩以外は、仕事か寝るかお酒を飲んでいます。
 お酒は強くなく、すぐウトウトします。その眠りの中で絵を描いていることも多く、ときには醒めたときアイデアが浮びます。
 そんな生活をしているうちに、三人の子供に恵まれました。そのうち一人は、デザイナーになりました。その彼から「二人展」をしないかと連絡がありました。
 ぼくは怠け者で、個展すらやったことがありません。ところが、そのとき不思議に「いいよ」と即答しました。さてどうなることやら…。
by arihideharu | 2016-03-19 11:11 | | Comments(0)
ウォーホル展
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 現代美術の世界でアンディ・ウォーホルほど有名な作家はいません。
 商業美術は今なお彼の影響下といえますし、またポップアートは現代美術において、いつの間にか太い幹となり柱となっています。 
 その大回顧展が開かれているわけですから、観ないわけにはいきません。
 
 展示は初期から晩年までの膨大な作品群、すなわちドローイング・版画・写真(第三者が撮ったものも含む)・映像・ペインティング・彼自身の収集品などが展示されています。
 めずらしい初期作品もあり、出色の充実ぶりです。 あとは彼の遺体のダミーでもあればコレクションは完璧といえそうです。

 久しぶりに人混みに出たのも加わり、作品を見終わるとかなり疲れ、館内の休憩椅子にドッカリ座り込みました。
 
 ぼくはウォーホルが特に好きでも嫌いでもありません。ただ、ウォーホルに強烈に影響をうけた世代を、近くでずっと見ていた記憶があります。
 つまり、ぼくらに一番影響力をもった、おじさんやおばさんの世代の日本の美術家が、盛んにウォーホル風をコピーしていた時代が青春期と重なっていたからです。

 また「近くで見ていた」という意味では、ビートルズ体験と似ています。世界中が英国の田舎の若者たちに次第に熱狂し、それが加速していく歴史絵巻を少年期にぼくらは見ていました。すぐ上の世代が、そのお祭りの中に入り、ともに狂喜乱舞していたからです。
 それは隣町のお祭りをガラス越しに見るような、味気なさが伴っていました。しかし、特に残念ということもありませんでした。何故ならお祭りの興奮は参加した者だけが分かちあえる美酒ですし、酒の味を知らない子どもには無理だったのです。ただ、背伸びをすれば手に入れることが出来る近さにありました。 

 美術や音楽が流行という文脈で語られ、爆風のような異次元なパワーをもって、世間に登場する歴史的瞬間を末席ながら立ち会っていたことになります。

 ぼくはこの回顧展ではじめてウォーホルの作品をじっくり観ました。やがて、ぼくは不思議な感覚に包まれていることに気がつきました。彼の作品が表現媒体に関わらず、みな同じオブジェのように見えてきたからです。

 伝説のミダス王は触れたものをすべて黄金にかえたといいます。黄金の対語が芥なら、ウォーホルは触れたものをすべてを芥にかえる術を天から授かっていたようです。芥とは悪臭を放つ無価値なものといった、否定的意味ではありません。この世にあるすべてのものから意味を抜きとり、偏在する価値を均等にした姿です。

 おそらく地球を俯瞰する視点をもったとき、地球上のすべてのものはこのような作品群で表象されるのでしょう。
 美女も空缶も意味を抜きとったら、等価というメッセージです。
 ウォーホルのこのような視点をもった作家を、ぼくは他に知りません。
 彼は地球人でなかった可能性があります。

 作品に戻ります。
 ウォーホルの各作品には共通項があることに気がつきます。「静けさ」「未完成さ」「無作為性」です。
 その背後にあるものは、おそらく強烈なナルシズムであろうと、目ぼしをつけることが出来ます。
 ただ、ぼくのナルシズムに対する認識では、結果として現れるものは肥大化した自己です。
 例えば表象化されたものとして、ロマン主義や耽美主義などですが、その痕跡がみあたりません。巧妙に痕跡を消しています。
 多くのポートレート写真が残っていますが、どれも同じ顔で写っています。これも痕跡を消す方法のなのでしょう。
 しかもその一つひとつの佇まいが、中世に描かれたキリスト像に似ています。
 彼のナルシズムは自己の肥大化とは逆方向のようです、

 ともあれ、「ウォーホル展」を観てからしばらく経ちますが、彼の作品が今は禅画のような味わいで残っています。
by arihideharu | 2014-05-12 20:52 | | Comments(0)
ラファエル前派展
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 最初にラファエル前派の絵をみたのは美術手帳の誌面で、学生のころだと思います。相当衝撃をうけたのを覚えています。
 というのも、ぼくは少年のころから青木繁のファンで半ば崇拝していたので、ラファエル前派が青木作品の元ネタかもしれないとすぐに直感し、彼の独創でなかったことに動揺したからです。
 しかしその後、ラファエル前派を中心に扱う画集を本屋でみかけることもなく、ぼくの中でだんだん幻のような存在になっていきました。
 
 ただ、その当時人気の出始めたクリムトやミュシャがラファエル前派を継承した象徴主義の流れの中にあり、また帝政ロシアにおいてレーピンはじめ、写実派の画家たちが描く情感あふれる絵も、映画や芝居の一場面のようなドラマ性が共通し、それら一つひとつが、大きな歴史のうねりと絡み合い、国の違いはあれど同根だということを何となく感じていました。
 さらに近ごろは、最後の浮世絵師とよばれた月岡芳年が晩年、日本の神話や歴史を題材に連作したのも、地下で彼らとつながっていると思うようになりました。
 彼らに共通するのは、写真の時代に突入した19世紀末から20世紀初頭、職業画家の矜持でしょう、リアリティーとか絵画の役割について真摯に向き合う姿です。時代はモダンアートが炸裂する前夜でした。

 ところがそういった流れの先駆となったラファエル前派は、この展覧会からみて分かったことは実は作品において成功例は意外に多くなく、恋には忙しかったようですが、職業画家として勤勉さがやや欠如した様子がうかがえます。
 むしろ、この不完全さが魅力となり、勤勉で技量確かな象徴主義や民族派の画家たちの感性とやる気を刺激し、またその後の文学や映画などにインスピレーションを与え、広がりと完成度を高めていったような気がします。
 しかしなにより、共感の核心は青木繁と同じくラファエル前派には、神さまから祝福された青春の輝きがこの芸術家集団から放たれているからだと、この展覧会をみて思いました。
by arihideharu | 2014-03-27 04:46 | | Comments(0)